終わりとはじまり



この一手の中に全てのものが詰まっている。
嬉しかったこと、
悲しかったこと、

…伝えたいこと。



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「塔矢名人引退」
週間碁の一面に大きく書かれた言葉に森下は心臓が縮み込むような錯覚を覚えた。
あの塔矢行洋が引退!?

   何故だ!!?

「…行洋の家に行って来る」

門下の者からくる質問ぜめの電話も耳に入らないようにそれだけ答え、森下は塔矢の家へと向かった。



「森下、saiという人物を知っているか?」

盤のむこう、家でも着物姿の塔矢がそう言った。

「sai?…あぁ、うちの門下のやつらが騒いでいたな。しかし、お前がパソコンをいじるようになったとは」
「言われると思ったよ。お前も私と同じ古い人間だからな。病院にいたときに緒方君がノートパソコンを持ってきてくれてな」
「緒方が?ノートパソコンねえ…俺が見舞いいったときにそんなの見掛けなかったぞ?」
「お前がきた次の日に来てくれたんだ」
「で、どんなやつだった?」
「…ネット碁だからな、顔は解らない。姿も知らない、ただ言えるのは」

そこまで言って塔矢は石を持った。

   ジャッ、パチィッ。

「彼の碁は悠久の時を越えたそれだった」
「…神の一手か」

棋士の高みを目指す者にしかわからない気迫、信念、情熱。

姿は解らずともおなじものを感じたのだという。


…いま自分達が打つこの空間の様に…



しばらく二人とも黙って、部屋には石を打つ凜とした音のみが響いていた。


<お前に引退を決めさせるなんてな、>

   パチッ。


<?>

   パチッ。


<なんだか悔しいぞ?長年一緒に打ってきたのに、>

   ジャッ、


<お前のほうが力あるのに、>

<先に見切りつけちまうだなんて。>



<見切りなんてつけていないさ>

   パチッ。


<どういう意味だ?>

   パチィッ。



<お前みたいに私の元に出向いてまで打ってくれる者もいる、それに>

   ジャッ、



<石を持てなくなったわけじゃない、>

   パチッ。





「この身のある幸福、か。お前らしいな。」

森下は盤面を見つめ、嬉しそうに笑みを浮かべた。
そしてうやうやしく頭を垂れる。

「ありません」
「…やはり私は機械より、こうして対峙し、石を打つほうが好きだな」
「俺もそう思うよ」

顔を見合わせ笑いあう。

「また来る」
「あぁ。

…森下」

帰るために上げた腰を呼び止められ、森下は塔矢をみた。

「…世界はどうかな?」

「…広いと思うぞ?
 …まあ、一手を放つ価値はあるだろうな」

塔矢の言わんとすることを汲んで森下はにやりとそう言った。

「そうか、ありがとう」
「身体にきをつけろよ」
「お前もな」
「ははは。またな」



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数日後、『塔矢行洋、北京チームと契約』の文字が紙上を踊り、囲碁界を揺らした。
誰もが思いも寄らないと騒ぐ中、

森下だけは嬉しそうにほくそ笑んだのだった。





                       END




…あとがき…
塔矢名人引退ネタを今更書いてみたり(笑)
最近、両門下に萌えるんです(爆)
いつも森下師匠が勝手にライバルって言ってるようで可哀相だったので
せめて自分萌えだけでもと(笑)

こんなオヤジはどうですか?(笑)