どんなに望んでも、手に入らないもの。
どんなに頼まれても、手放せないもの。
願っても、奪われても、引き裂かれても…どんなに、愛しても。

求めたのはたった一つ。

俺が、僕が、刹那の時に求めた

たった一つの 天。


ー求天刹那。










俺は、どんなに窮地にいても、希望を持っていられた。
隣に当麻がいてくれたから。
当麻は俺の希望。
俺も、当麻にとって、なにか力になれたらいいのに。



求天刹那 1




阿羅醐の策略で、魔将に次々に捕らえられた仲間たち。
残った遼と当麻は、二人、どうしたらいいのか途方に暮れていた。

「とりあえず、もう寝ましょう…疲れた頭で考えてもろくな答えは出ないわ」
「…そうだな」
「じゃあ、おやすみ」
「純、あたしの部屋へいらっしゃい」
「うん…お休みお兄ちゃんたち…」

そう言って、純はナスティと一緒に、一階の部屋へと入っていった。

「…白炎、お前もナスティたちの部屋へと行ってくれ」

そう言うと、白炎はわかったと言うように小さく唸ってナスティのあとをついていった。
当麻が一人ぼっちの部屋へと戻るのを見送って、遼も自分の部屋に入る。


チッ チッ チッ



時計の音が煩い。
耳がなりそうなほどの静けさに、遼は掛布団を耳までかぶった。



不意に扉から、まぶしい光が差し込む。
閉めたはずなのに、と不審がりながら、遼は起き上がった。

「…遼」
「当麻…か?」
「…今日、こっちのベッド借りてもいいか?」
「…ああ」

当麻は廊下の電気を消すと、月明かりの仄かな部屋へゆっくりと踏み込んだ。
そして、遼の隣の空きベッドに座る。
心なしか青ざめた表情の当麻に、遼はそっと隣に座った。

「…大丈夫か?」
「…ああ」

一瞬唇をかみ締め、自分に言い聞かせるように軽くうなづいて、遼に顔を向ける。

「…大丈夫だ、すまんな心配かけて」

いまにも消えてしまいそうに笑う当麻に、たまらず遼は抱きついた。

「り・遼!?」
「いいから…もう何も言うな」

どこにも行かせないと言う様に、遼の腕が、きつく当麻を抱きしめる。
遼の腕から、熱が当麻へと移ってゆく。
温かな炎の力。
その温もりは当麻の緊張をゆっくりと融かしてゆく。
強引ながら真摯な動きに、当麻は身体の力をそっと抜いた。

「…遼」
「人の心臓の音って、聞いてると安心するだろ?」
「…ああ」

遼の心臓の音と、当麻の心臓の音が次第に同じになってゆく。

互いを守るようにぎゅっと抱きしめあったまま、しばらくそうして、
二人一緒のベッドに横になる。

「当麻…寝られそうか?」
「…ん・・・りょぉ・は?」
「おれも・・・少し安心・した・・・」

さっきまでは永遠とも思えた夜が、動き出したように。
睡魔に導かれて、二人はそのまま目を閉じたのだった。









朝の陽に、当麻は目を覚ました。
まだ明けて間もないようで、顔に当たる空気は冷たい。

…寒い。

温かなぬくもりが隣にあって、当麻はそれに額を押し付けた。

「…くすぐったいよ白炎」

くすくすと声が頭上から降ってきて、当麻は思わず目を開いた。

「…遼?」
「…当麻だったのか」

ふふ、と笑い声を残して、遼は当麻の髪に顔を埋めた。

「当麻…」
「…ん?」
「とーうま…」
「なんだよ…」
「呼んでるだけだよ…当麻ぁ」

何度も名を呼ばれ、当麻は恥ずかしくてたまらなかった。
それでも、嬉しい気持ちが胸の奥を叩くのに、自然と笑みが零れる。

「…りょお」
「ん?」
「…呼んだだけ」

くすくすと笑みを零し、額をこづきあった。

「…ありがとう」

暫らくして、当麻はそっと起き上がった。
遼も一緒に起き上がる。

「ありがとうなんて言われるようなこと、してないけど?」
「…勇気を、貰った」
「そうか…俺も、当麻から貰ったものがある」
「…なんだ?」
「当麻の、ぬくもり」

そう言って、遼は当麻の頬を両手で包んだ。
…不意に奪われた唇は、ほのかに甘かった。





********************************






新宿にあったほころびから、俺たちは妖邪界へと潜入することに成功した。

信じられるのは隣にあるぬくもりだけ。



そんな緊張した時間が、俺と遼を、深く結びつけたのだと思う。




求天刹那 2




いつ妖邪界へたどりついたのか、覚えていない。
巻き起こる光の渦の中、必死で遼を掴もうとしたことだけは覚えている。



水の感触に俺は目を覚ました。
起き上がってみると、そこは蓮池で、一人で倒れていたようだった。

「遼…!?」

呼びかけても、返事はなく、ただ一面、蓮が揺れているだけだった。
ふと、背にぬくもりを感じて、俺は振り返った。

「…白炎」

白炎は嬉しそうに目を細め、俺に擦り寄ってくる。
俺も、白炎の頭を撫でてやって、立ち上がった。

「白炎、遼のいるところ、わかるか?」

白炎はグルル、と小さく鳴いて、前を歩き始めた。
あとをついて来いと、一瞬振り返り、また歩き出す。
追いつくと、盲導犬のように、ぴったりと俺の横について先導してくれる。
やっぱり白炎は頭がいいやつだ。


しばらく行くと、蓮の上で呆けている遼を見つけた。
俺たちに気づいてほっとした笑顔を浮かべていた。
白炎を撫でて、俺を見上げた。
手を貸してやると、胸の中に飛び込んでくるように起き上がる。

「…当麻、無事でなによりだ」
「遼こそ、また一緒になれて良かった」

安心したようにそう呟く遼に、俺も頷いて、握った手に力を込めた。













煩悩京で、俺達は苦戦を強いられた。

どこからともなくわらわらと溢れ出てくる妖邪兵。
俺たちは休める場所を探していた。


とある建物の縁の下。
狭い空間ながらようやく休める場所を見つけて俺達は休息を取った。
少しだけではあるが緊張から解放される。
それが嬉しかった。

「当麻、平気か?」

隠し持っていた水を渡すと、当麻はぎこちなく笑顔を作り、それを受け取る。

「なんとか…遼こそ平気か?」

そう言うものの、当麻は水を口元に持っていく力もないように、くったりと柱に背を預ける。

あきらかに、当麻のほうが憔悴が激しかった。
俺は刀を振り回すだけだが、当麻は自身の力を固めた矢を放つのだ。
しかも、敵に狙いを定め撃つのは並大抵の集中ではないはず。
それなのに、俺の心配をする。
そんな当麻が愛おしくて、俺は当麻の横に座った。
俺の肩に頭を乗せて、当麻は小さく溜息をつく。

「…すまん」
「いいって…ほら、飲めるか?」
「ん…」

当麻の手から水を受け取り、口元へ運んでやる。
少し口に含むが、口の端から零れしまう。

「…っ」
「当麻…」
「おかしいな…」

弱弱しく笑い、肩で一度息をした。

「…ちょっと待ってろ」

俺は自分の口に水を含むと、当麻の唇に、自分の唇を押し当てた。

「…っ・ん…ぅんん…」

水が、俺から当麻へと移る。
それをこくりと喉を鳴らして飲んだ。

「…大丈夫か?」
「…りょ・お…」
「まだ飲むか?」
「…ああ」

一瞬顔を赤らめ、軽く頷く。

そんな当麻に、俺は幾度か水を口移しで与えた。

「…ん…っ…」

不意に、舌が触れる。
当麻は目を見開いて、声を漏らした。
俺はそのまま、舌を絡めて吸い上げる。

「…んん…ふ・ぁ…んむ…っ」

水が、喉を伝って滴る。
もどかしく引き寄せ、尚も深く口付ける。
当麻は俺を諌めるかのようにアーマーの上から胸を押すが、かまわず髪を掻き抱いた。

「…っ・は…りょ・お…っ」

当麻だけが使う、舌ったらずなアクセントで、俺の名が紡がれる。
たまらなく愛おしい。
水の零れた痕を追い、白く柔らかな首筋に舌を這わせると、当麻は困ったような顔をして、俺を見下ろした。

「りょ・お…っ、だめだって…こんなとこで…」
「当麻…とまんないよ…」

ちゅ、と喉に吸い付くと、びくりと身体を震わせる。

「…りょお、待て…本当に…」
「嫌か?」
「嫌じゃない!…でも」

そう言って、当麻は小さくうつむいた。

「いま、こんなことしてる場合じゃないのわかってるだろ?」
「それはそうだけど…」
「…それに、こんな落ち着かないところで…やだよ」

苦しそうな当麻の言葉に、気持ちはひしひしと伝わってきた。
ついがっついてしまった自分が恥ずかしい。

「…ごめん当麻…。 …でも、俺…本気だから」
「遼…」
「…当麻、好きなんだ」

突然の言葉に、当麻は驚いたように目を見開いた。
そして、顔を仄かに火照らせて目を俯かせる。

「…本当に?」
「ああ、本気だ」
「…そうか」
「当麻は?俺のこと、どう思う?」
「…俺・は…」

困ったように眉をしかめて、当麻は俺の肩に額を当てた。
子猫のように額を擦り合わせ、弱弱しい声でなにか呟いた。

「…え?」
「だから… 俺も、遼のこと…好きだぜ?」

囁くように、声が耳に吹き込まれる。

「本当か!?」
「ああ…」
「当麻…!」

たまらず、俺は当麻を思いっきり抱きしめた。
当麻は慌てて俺の肩を掴む。

「遼!?」
「俺…すげえ嬉しいぜ!」
「…馬鹿」

困ったような笑みを浮べて。当麻は赤くなった頬を俺の肩に埋めた。
そばにある青い髪に顔を埋め、当麻の匂いを身体いっぱいに頬張る。
キスを降らせると、くすぐったそうに腕の中の身体が震えた。

「当麻…」
「あ、でも」

不意に、当麻は顔を上げて、俺の顔を指差した。

「…さっきみたいな真似は、もう駄目だぞ?」
「なんで」
「…いまは戦いに集中しないとだろ?」

まったく、これだから遼は、と、当麻は怒った。
せっかく思いが通じたのに、お預けかと思うと、悔しい。
俺はうう、と唸り声を上げて立ち上がった。

「じゃあ、さっさとみんなを助けて、阿羅醐倒しちまわないとな!」
「…ゲンキンなやつだな」

ははは、と笑い、当麻も立ち上がった。
そして、不意に俺の額に唇を押し当てる。

「…当麻!?」
「遼から力もらって元気になったから、お礼。いまは、コレだけ、な」

そう言って、当麻は先立って外へと飛び出した。

俺はあ然とあたたかいものが触れた額を押さえていたのだった。





**************************************






僕等が捕らえられていた間、二人がどんなに頑張ったか。
どんなに辛かったか、苦しんだか、
僕が考える以上に大変だったろう。

…でも、二人の間に、何が芽生えていたのかなんて僕が想像できたろうか。


求天刹那3



ようやく五人集結し、僕等は朱天の庵で休息を取っていた。
今度こそ阿羅醐を倒す。五人の心は一つになっていた。

「ぅおりゃあぁ!」
「たぁあぁぁっ!」

秀と征士が組み手をしている。征士が取っ組み合う姿なんて珍しい。

「なにしてんだか…ねぇ遼」

振り返って、そこにいたはずの遼がいないのに首をかしげる。

「あれぇ…?」

そういえば当麻もさっきから姿が見えない。二人してトイレかな?


庵の裏手に、遼らしき黒髪が見えた気がして、そっと近づいてみる。
そこには当麻もいて、二人向かい合ってひそひそと話をしていた。

もしかすると先の戦いで大将と智将の資質が芽生えたのかも。そうだとしたら頼もしいな。
…それにしても、随分近い?
そんなに秘密にしなきゃいけない内容なのかな?


不意に当麻の身体が揺れた。
壁によりかかり、肩で息をしている。
それを追い掛けるように遼が壁に手をつく。
困った顔をして、当麻は遼の肩に腕を乗せた。
額を擦り寄せ、なにか言い合い、笑う。

まるで、もう幸せを得てしまったような笑顔。


そして、唇が、ゆっくりと重なった。
当麻を押さえ付けられるように遼は密着し、当麻の髪をわしづかんで尚も深く重ねあう。

「…ん・っ…ふぁ…りょお…」

頼りなさげに肩を掴み、当麻の口からとろりと吐息が漏れる。
妙に生々しく耳に聞こえる吐息に、胸の奥が疼いた。
膝が崩れる当麻の腰を抱きしめ、遼は嬉しそうに瞼に唇を落とす。

「とーま…っ」
「りょお…駄目だって言った」
「ごめん…これが最後の戦いだと思ったら、たまんなくなっちゃって…」
「…ん、頑張ろうな…阿羅醐を倒すんだ」
「あぁ…」

仄かに目元を赤く染め、当麻は笑った。
…見たこともない、綺麗な笑顔。

僕は耐え切れずにみんなの待つところへと駆け戻った。


もやもやとした気持ちが、胸の奥にわだかまっていた。











戦いは、遼の犠牲と、勾玉の蘇生の力。
それのおかげで、なんとか阿羅醐を倒し、僕たちの勝利で幕を閉じた。

煩悩京は迦遊羅と三魔将が中心となって建て直してゆくそうだ。


そして僕等は平穏な生活へと戻っていった。

…しかし、いつまた妖邪が現れるとも限らない。
そう考えて、皆、ナスティ邸にしばらく留まることにした。

彼女自身も大学のことや研究内容をまとめるためにしばらく小田原には戻れないらしく、留守を頼めるなら私からもお願いするわ、と申し出てくれた。



…戦いの間はがむしゃらに忘れていられた、胸の奥の澱が、ゆっくりと頭をもたげてゆくのを押さえられなくなっていた。








ナスティ邸に戻ってすぐのことだった。
部屋に戻ると当麻は部屋にある荷物を纏めていた。

「なんだ、家に帰るのか?」

私の問いに当麻は両手を振って笑った。

「違う違う…遼の隣のベッド空いてたろ?そこで寝ようと思って…」
「…私と同室は嫌か?」
「違うよ!…実はさ、お前らが捕まってるとき、遼の部屋で寝てたんだ…あっちのベッドのほうが寝やすくて…」

そう言って仄かに顔を朱に染める。

「そうであったか…」
「ごめんな」
「何故謝る。謝るのはこちらのほうだ…すまない、助けてくれてありがとう」
「征士…」
「たまにはこちらでまた寝てくれると嬉しいぞ」
「うん…」

にこりと笑って、当麻は出ていった。
一人になって、私は少し寂しさを感じていた。





当麻が部屋を出て、遼の部屋に入るのを、僕はそっと見届けた。

別に誰がどこで寝ようと、決め事であったわけではないので咎めることではないのだが。
僕の心は穏やかではなかった。


…どうしてそんな気分になるのか、まだ僕自身も理由がわからなかったのだが。






****************************************






知らなかった。
自分が苦しむより、愛する人が苦しむほうが、心が痛むことに。

気づかなかった。
最愛の人に、最低な選択を強要してしまった事実に。



求天刹那 4






風呂から上がって部屋に戻ると、無人だと思っていたそこに人の気配がする。
そっと中を覗き込むと空きベッドだった場所に、意外な人物が座っていた。

「よぉ」
「…当麻、どうしたんだ?」

驚きを隠せずそう言うと、当麻は頭を掻いて笑う。
仄かに頬を染め、俺を隣に座らせた。

「やっと、終わったな」
「あ、うん…」
「…身体、平気か」
「ああ…」

俺の手に自分の手を重ねて、当麻は笑った。
本当にほっとしたように笑い、俺の目を見る。

「遼のおかげで、今、こんな平和に話していられる」
「当麻だって…」

言いかけて、俺は、なにか見落としているような錯覚に襲われた。

「…みんなの力がなければ俺は…」
「遼…」

そう。仁の力で阿羅醐を抑えても、結局みんなが倒してくれなければどうにもならなかったのだ。
前の、臆病者の俺のように…
思い出して悲しくなった俺の肩に、当麻は腕を絡めてくる。

「遼が身を挺してくれたから俺達に倒すチャンスが生まれたんだぜ…?」

そう囁いて、額を肩に乗せる。
…仄かに肩が震えているのに気付いて、当麻の肩を抱きしめかえした。

「…当麻?」

俺が声を掛けると、当麻は顔を上げた。

「…りょ・ぉ」

不意に当麻の口調が落ちる。
なにかを思い出すかのように目を泳がせ、不安げに俺の顔を見上げた。

次いで出た言葉は、想像もしないもので、俺は驚きに目を見開いた。

「遼が、あんな選択しか出来なかったのは、智将たる俺の責任だ」
「…当麻、なに言って…」
「…輝皇帝が…遼が、阿羅醐に取り込まれたとき、心臓が凍るかと思った…」



「…勾玉の力がなかったら…遼…死ん・って…」


つう、と当麻の頬を、涙が伝う。

そんな当麻を見て、俺は自分の行動を呪った。
前に俺が悩んだ選択をみんなにさせた…まして、当麻にそれを強要してしまった…

「なにが智将だ…なにもできなくて…俺が代われればって……俺の采配ミスだって…」
「当麻…っ…」
「…りょおが…俺の前から消える…っ」

狼狽する当麻を胸に抱き、俺は後悔に苛まれていた。
どうしてもっと、別の道を選べなかったのだろう。
当麻を不安にさせた。
それが一番つらい。

「当麻のせいじゃない…俺が…とうま…っ」

俺は涙に濡れる当麻の頬に唇を寄せた。
涙を掬うように、何度も口付けする。

当麻は、じっと、なすがままになっていた。

「…俺は、当麻たちに危険が及ぶくらいなら、俺を…と思ったんだ…なのに、それが逆に当麻を悲しませた」
「…りょぉ」
「当麻…俺は、ここにいる…もう、終わったんだ…」
「…ん」

触れた唇は冷たかった。
暖めるように、何度も口付ける。




「落ち着いたか?」
「…ん」

涙を拭いて、当麻は落ち着くためか小さく息を吐いた。
その仕草に、俺は違う部分が反応するのを感じる。
当麻を抱いた腕に力を込めて、耳に、唇を近づけた。

「…そういえばさ」
「…ん?」
「…終わったら、俺のになってくれるんだったよな」
「…!」

ふと、思い出したことを口にすると、当麻は頬を染めて俺を見上げる。
一瞬困ったように視線を泳がせると、口元に笑みを浮かべた。

「…そういえば、そんなこと、言ったな」
「当麻…」
「…頑張った仁の戦士に、ご褒美をあげないと…な?」
「…うん」
「…遼…」

ベッドに寝転んで、当麻は腕を伸ばした。
誘われるまま、俺は上にのしかかる。

当麻の胸に額を寄せると、早鳴る鼓動が聞こえた。
俺の心臓も、痛いくらい鳴っている。

もういちど触れた唇は、しっとりと暖かかった。








「ぁ…っ・・・くぅ…っ…んん・・・」

痛みに顔をしかめる当麻を組み敷いて、涙の滲む目じりにキスを降らせる。
唇をかみ締め、声を殺す当麻の姿は扇情的で、もっと奥まで繋がりたくなる。

「当麻…平気か?」
「平気だから……りょぉ…全部……?」

俺を根元まで咥え込んだまま、そう聞いてくる。

「うん…全部当麻の中に入ってるよ…」
「んぅ……りょぉの…全部…」
「当麻の中、熱いな…」
「ふ・ぁ…りょぉのも…すごくあつい…よぉ」

熱に浮かされたようにそうア喘いで、俺の肩にしがみついてくる。
愛しくて、たまらなくて。
俺も当麻をしっかりと抱きしめた。
たまらず腰がうねる。

「ひ・ぁ…ん…りょ・ぉおっ…!」

ぐちゅりと奥を突き上げ、内壁をえぐる。
当麻は恍惚とした表情で、俺の肩にしがみつく。

限界に近づくたび、最奥がきゅうきゅうと俺を締め付け、離さない。


「とぉま…俺…も、だめ…っ」

「ん…俺も・も…駄目…ぇ・りょぉおっ…!」


ひくりと喉が振るえ、背を反らせ、腕を突っ張らせた。
熱いものが腹の間でひくつき、白い飛沫を撒き散らした。

ぎゅう、と俺を包み込むそこが、締まる。

限界を訴えていた俺自身も、耐え切れず、欲望を当麻の中へと吐き出した。


「あ・ああぁ…ん・ぅ」


苦しそうに一啼きして、当麻は身体を弛緩させた。



くったりと横たわる当麻の上に、俺も覆いかぶさる。




「…当麻…」
「…りょお…は・ぁ…」
「…ふふ」
「あ・はは・・・」


何故かわからないが、無性におかしくなってきて、声を上げて笑った。
当麻も、つられるように笑い声を漏らす。

幸せな気持ちを部屋中に振りまいて、俺達は抱きしめあった。
どちらかとなく握り合った掌はじっとりと汗ばんで、更なる密着を望んでいるようだった。


ようやく手に入れた幸せを離すまいとするように、指を絡め、抱きしめあった。






*************************************







なにがあったの?
どうしてそんなに綺麗に笑うの?
前はそんなことなかったのに。
…その目に、僕も映してよ。

戦いの最中は忘れていたもやもやとしたそれは、
手当てを忘れた傷のように、
じくじくとぶり返し、痛みを訴える。

膿が広がり、ぐずぐずと肉が腐る。
そんな薄汚い感情が、心を覆い隠してゆく。



求天刹那 5




戦いから戻ってから、いつの間にか、当麻の世話は遼が焼くようになっていた。

遼が起こすと当麻は渋々ながらちゃんと起きる。
起こすたびにひと悶着だった僕としては、負担が減って喜ばしいことだったはずなんだけど。

何故か、すっきりしない気持ちが、心にわだかまっていた。




ある日、洗濯物を干してリビングに戻ると、ソファにいる当麻を見かけた。
遼は秀と買出しに行くといっていたから、いまはいないはず。
何故か遼に引け目を感じながら、寝入っている当麻を見下ろした。

くーくー、と耳をくすぐる寝息が心地いい。

この顔を眺めて、もったいないと思いながら起こすのが好きだった。

苛立ちながら、それでも困った顔で
僕の顔を見上げて、
「なんだ、伸か…あと5分…」
なんて言いながら、僕の肩に頭を預ける。



そんな緩やかな時間が、なにより愛しかったのに。





なんで遼なんかと。



仄かな苛立ちに、胸に手を当て、シャツを握った。




そして、気づいた。

そうか。
僕は、遼に当麻を取られたような気がして。
それが嫌だったんだ。

いままであれだけ世話をやいていたのに、
それが自分を見なくなるのが嫌だったんだ。


当麻が好きだから
世話焼きたくなっていたんだ。


そうか、そういうことだったんだ。






「当麻…」

想いに気づいて、名を呼ぶ。
なんと甘美に舌に乗るのだろう。

そっと髪をかきあげて、顔を覗き込む。
当麻は目を閉じたままだ。

唇をそっと塞ぐと、ピクリと喉が震えた。


舌で割れ目を撫で、歯列を確かめるように、なぞってゆく。


「…んぅ」

苦しそうに呻くのを聞いて、そっと唇を離した。

「…当麻」

耳元で囁くと、くすぐったそうに笑って、唇を開いた。


「…っ・やめ…・・りょ・お」

甘えるような声に、シャツに伸びていた手が止まる。

…なんで、そこで遼を呼ぶの?


そっと身を起こして、当麻の顔を覗き込む。








「…伸」

不意に部屋のドアが開いて、遼が不審げな声を上げる。

それもそうだろう。
僕が、当麻を押し倒しているように見えるだろうね。
実際、押し倒そうとしてたんだけど。

「…なにして…?」
「なにも?」

笑顔を浮かべて、僕はソファから降りた。
何故だかはわからないが、すごく楽しい気分だった。

…当麻が遼を呼ばなければ、もっと気分良かったかもしれないけど。


「疲れたろ?なんか飲む?」
「う・うん…」
「秀は?」
「いま、台所に…」
「あ、そうか…ちょっと待っててね」

笑顔を顔に貼り付けたままそう言って僕は台所へと向かった。















「…当麻?」

伸が行ったのを見計らって、俺は当麻のそばへと駆け寄った。
ぐっすりと寝入る当麻の頬をそっと撫でる。

「…当麻」
「…ん・りょぉ…?」
「うん、俺…」
「そっか…遼だよな」

微かに微笑んで、当麻は頬に触れている俺の手に、自分の手を重ねた。

「…ん」

ソファの影に隠れるように、唇を重ねる。

「ん・ぅ…っ・りょ・・・りょぉ…人前ですんなって言ったろ?」
「うん…ごめん」
「…ま、いけど」

しゅんとする俺の髪を撫でて、当麻は笑った。
そして、ソファから起き上がって、小さく伸びをする。

「あー、喉渇いたなぁ…」


絶好のタイミングで、伸はグラスを4個持ってきた。
うしろから秀もついてくる。

「お待たせ、アイスアップルティでいいかな?」
「お!伸、いいタイミング!」
「あれ、当麻起きたの?まったく、こんなところでぐっすりと寝ちゃってさ」
「いいだろ…ここ寝やすいんだもん」
「まあ、いいけどね。はい、当麻の分」
「サンキュー」

何気ない会話だったはずなのに、
何故か胸の奥がむかむかするのを感じた。

「どうした?遼は飲まんのか?」
「遼の分もちゃんとあるよ?ほら」

伸の手から渡されたそれは、甘ったるい匂いを撒き散らしていた。

「アップルティ、きらいだった?」
「…いや、そんなことないぜ?」

やせ我慢をして、喉に流し込んだそれは、
妙な渋みと甘ったるい匂いを、喉の奥に染み付かせた。







******************************************






伸が当麻にキスしていた。



遼は気づいていて飛び込んだのだろうか。

あの角度からじゃ見えなかったろうな。


なんで玄関からはいっちゃったんだろ。

遼と一緒にいつもどおりテラスから行けばよかった。





求天刹那 6



遼があのタイミングで飛び込まなかったらどうなっていたのだろう。

覗き見るつもりじゃなかった。

玄関から入って、買い物した袋を抱えて台所へと向かった。
ただそれだけのこと。



ふとみたリビングで、それは行われていた。


伸が、当麻を押し倒している。
唇を重ねて、シャツを掴んで。


最低の光景だった。


瞬間、
身体が言うことを利かなくなって、呆然と見つめていた。




「伸?」

遼の言葉に俺はびくりと身を揺らした。
まるで催眠術からとけたような気分でそこから視線を外す。

「なにして?」
「なにも?」

怪訝そうな遼の声と、楽しそうな伸の声が耳に届く。
吐きそうなほど、嬉しそうな伸の声。



伸の入れたアップルティーは、喉の奥に澱を作ってなかなか消えてくれなかった。








夜、隣のベッドで眠る伸を見下ろして、悲しい気分になった。
こんなに近くにいるのに気づいてもらえない。

「伸…」

俺が手を置くと、ベッドはぎしりと音を立てた。
構わず体重をかけ、伸の顔を見下ろす。

唇を近づけ、吐息が触れる。



「だめだよ、秀」

触れるか、ぎりぎりのところで、寝ていると思っていた伸の手が、俺の唇に当てられた。
海の底の様な瞳が、俺を見据えていた。

「…なんで駄目なんだよ」
「友達でいたいなら、やめろ」
「…当麻にはしたのに?」
「…見られてたのか」

ちぇ、と笑い、俺の胸を突き放し、自分も起き上がった。
そして、俺をじっと見て、まじめな顔で、

…俺が聞きたくなかった言葉を紡ぐ。



「なら、話は早いや。…僕は当麻が好きなんだ」


心臓が、止まる。
息が出来ない。

「だから、秀、君の思いは受け止められない」

やめてくれ。

俺の気持ちを汲み取れないのならそれだけ言ってくれ。
そこに、当麻の名を出すなんて卑怯だ。

だいたい、当麻には…


「でも…当麻には、遼が…」

つい口に出して、俺ははっと口をつぐんだ。
伸の瞳が、まるで台風の海のように、どす黒く光ったからだ。

「…」


何も言わず、伸は毛布を抱えて出て行こうとする。


「…どこへ行くんだ」
「ここで寝てていいの?」


一瞬の静寂が二人の間に流れた。

たまらず視線を外したのは俺のほうだった。
伸は小さく溜息をついて扉を開ける。

「…征士の隣のベッド空いてるから、そこ借りてくる」

そうして俺を残し、伸は出て行ってしまった。


「…く・そぉっ!」
誰もいなくなったベッドを殴りつけ、顔を押し付けた。
今更のように流れてくる涙を拭うことも出来ずに、俺は一人眠れぬ夜を過ごしたのだった。





***************************************







伸と当麻が、買い物当番になって、
二人は一緒に出かけていった。

伸の運転で、二人は出て行った。

俺も行くっていったのに、伸に笑顔で
「今日はそんなに買うものがないから、大丈夫だよ」
と言われてしまった。

…あのとき、無理やりにでも一緒に行っていれば
歯車は、歪むことなかったのだろうか。



求天刹那 7



車は、山道をひた走る。

この山道は全部柳生邸の私有地なんだって言うから驚きだ。
まあ、おかげで無免許の僕の運転でも途中まで車でいくことが出来るんだけど。
…征士はそのまま運転に目覚めたらしいけど…公道まで走って、バレたら捕まるってわかってるのかな?

最初は僕の運転じゃ怖いなんて言ってたのに
いまは助手席でぐっすりの彼を横目で見て笑った。

…可愛い顔しちゃって。



僕は山道の陰に車を止め、寝入る当麻を眺めた。

…ここなら、邪魔はいない。



このまま連れ去ってしまおうか。



そう考えながら、椅子をフラットに倒す。
起きる気配がないのを確認して、そっと無防備な唇を奪った。

「…んぅ」

甘い吐息に誘われるように、口腔内を舌で愛撫してゆく。
とろりとした柔らかさに眩暈すら覚えた。

「ん・ぁ…や…りょ・お」

苦しげに眉間に皺を寄せ、僕の髪に指を絡める。
当麻の脳裏では、遼がのしかかってるんだろう。
…わかってはいても、その名を出されると胃の奥がぎりりと熱くなった。

なにもかもを振り払うように、心の奥で頭をもたげはじめた欲求に従った。

逃げられないように当麻を椅子に押し付け、上にのしかかる。
ナスティの車が4WDでよかった。普通の車じゃ天井が低くてこんなことできやしない。
乱暴に衣服を剥ぎ取り、シャツで腕を一まとめにして座席に引っ掛ける。
そしてズボンを後部座席に放りこむ。
これで、当麻は逃げられない。

敏感な部分を外気に晒され、流石の当麻もゆるゆると目を開いた。

「…遼…?…・・・し・伸!?」
「悪かったね、僕で」

困惑に揺れる瞳を、冷めた目で見つめ、当麻の足を抱え上げた。
そのまま当麻の中へ仄かに力を持つそれをぶちこんだ。

「い・嫌だ!あ・あああっ!やめ…アアっ!!!」

痛みと恐怖に当麻が叫ぶ。
きっとものすごく痛いのだろう。
僕のそれも引きちぎられてしまいそうに締め付けられている。
かまわず上下に揺さぶると、当麻の喉から悲鳴がひっきりなしに漏れた。

「ぎ・う・・・ぎゃ・あああっ」

不意に当麻が高く啼いた。

生温かいものが肢体を伝う。
赤黒いそれが僕と当麻の境界線を伝い、溶かしてゆく。

ぐちゅぐちゅと滑りよくなったそこから溢れる、淫猥な音と、血のむせ返る匂いが車内を満たしてゆく。

「ぐ・ぁ…っ・・・・ぅうん…」

苦しそうな当麻の姿に、心の奥が満ちてゆく。
ああ、今、僕は当麻を支配している。

「当麻…好きだ…すきだ・・・」

うわごとのように囁いて、止まらない腰を打ちつける。
当麻は涙とよだれでぐちゃぐちゃになりながらも、僕を拒否するように手を突っ張らせのけぞった。
最奥で蠢く欲望は、遠慮なく内壁を蹂躙して当麻を責め立てる。
感極まって吐き出したものは、当麻の奥に全て注がれる。
それに呼応するように、当麻も一啼きして白い飛沫を噴出していた。









ぐったりとする当麻に衣服を纏わせて、車を発進させる。
暫らく走らせると、すぐに柳生邸が見えてきた。

家に着くと、待ちかねたように遼が駆け寄ってくる。
後ろから、秀もついてくる。
僕は気を失ったままの当麻を抱き上げた。

「当麻…どうしたんだ!?」
「ああ、ちょっと具合悪いみたいでさ…悪いけど、荷物を冷蔵庫に入れといてくれる?」
「…ああ」
「秀も、頼むね」
「…ん」

小さくうなずいた秀と、心配そうに見送る遼の視線を背に感じて僕は喉の奥で笑った。
秀はあれからずっとおとなしい。そしてああやって頼まれれば、遼は断れない。

僕の邪魔をするものはいない、ってわけだ。

僕は自分のベッドに当麻を寝かしつけると
そっと髪を撫でた。

「…ごめんよ、当麻…君を困らせるつもりじゃなかったんだ。ただ少しだけ、当麻の中の、僕のエリアを広げて欲しかったんだ」

叶うはずもない願い。

「愛してる…愛してるんだ……」

祈るようにそう囁いて、当麻の額に唇を当てる。


部屋を出ると、そこにはなにか言いたげな秀の姿があった。







***************************************





問わなければよかった。
聞かなければ良かった。

どうして、俺が
そんなみじめな気持ちにならなきゃならない?

どうして、こんな奴、好きなんだろう。



求天刹那 8




「ちぇ、なんだよ、見せ付けやがって」

当麻を抱きかかえて去る伸に舌打ちして、俺は荷物を抱えた。
遼は既に玄関を入っていった。

心配だろうけど、いまは行かなほうがいいと思うぜ?

そう思いながら、車の中に違和感を感じる。
…ふと鼻をついたのは、血の匂い。


…なにがあったんだよ。





俺は残りの荷物をかき集め、台所へと駆け込んだ。
そこには遼と征士がいて、買い物袋から食材を出していた。

「…ちょっと、これ頼むな」

征士に残りを預け、階段を上がる。



遼と当麻の部屋を覗くと、そこにはいなかった。
もしやと思って俺たちの部屋を覗き込むと、伸が自分のベッドを覗き込んでいた。
…いや、違う。そこに眠る当麻に覆いかぶさっていた。

「…愛してる…愛してるんだ…」

悲しげに、愛を紡ぐ伸の声。


俺は、どうすることもできずに、そこに立ち尽くしていた。




伸が部屋を出てくるのを、ぼんやりとした気持ちで迎えた。
伸は目を伏せて、俺を見ようとしない。

「…話があるんだけど」
「…なに?食材しまってからでいいかな?」
「それはもう征士と遼がやってくれてる」
「あ、そうなの?…珍しいね、秀がつまみ食いしないでくるなんて。もうしてたりして」
「…伸」

俺の責めるような声に、肩を落として顔を上げた。
射抜くようなその視線は、どこか満足げで、少し怖かった。

書斎に伸を連れ込み、鍵を掛ける。

「…で、なに?」
「当麻に、なにしたんだ」
「…別に」
「バレてねえと思ったのか!?あの車の匂いはなんだ!遼は気づいてなかったけどな、あれは絶対に血の匂いだ!!
まさか帰りがけに妖邪が現れたとでも言うんじゃねえだろうな!?」

俺のたとえに伸は声を立てて笑った。
そして、本当に嬉しそうににこりと微笑んだまま、こう言った。



「当麻を抱いてきた」



伸の顔には悪びれた風はなく、ただ、嬉しそうに笑っていた。

…なにかが壊れている。
本能がそう告げてしまうような、その笑顔に総毛立つ。




「…もういい?」

他に言うこともない?、と言わんばかりに笑顔のままそう尋ねた。
視線は冷たく、俺を疎ましそうに見つめる。

伸はゆっくりと扉に近づき、鍵を開けた。
追いすがり、聞いてはいけないと思いつつ、言葉を重ねる。

「おまえ、それで満足なのか?」
「…満足・なはず、ないだろ」

目を合わせないまま、そう呟いて、伸は部屋を出て行った。




血の気が引いてゆく。
支えが抜けたように、そのままずるずると床にへたりこんだ。

聞かなきゃいいことばかり聞いてしまう。
そんな自分を呪った。
そして、壊れ始めているのをわかっていても、伸を好きな自分に愕然とする。

なにも、できないのに。

今まで味わったことのない無力感に苛まれながら、俺は一人天井を見上げていた。







*************************************







傷ついた当麻が、そこにいた。
俺は、何も出来ずにただ抱きしめてやるしかなかった。

なにがあったのか
当麻の口からそれを紡がせるのは、躊躇われた。

何故かはわからないけど。




求天刹那 9





冷蔵庫に食材を詰め込んで、俺は立ち上がった。
のこる袋は一つ。
くそ、秀の奴、押し付けて先に行くなんて!!
はやく、当麻のところに行きたいのに。


「…気になるか?」
「征士?」
「当麻の具合…そんなに気になるなら、見てくればよかろう。あとは私一人でも大丈夫だぞ」
「…うん、サンキュ」

征士に礼を言って、俺は顔段を駆け上がった。

階段を上がってすぐは秀と伸の部屋。
俺と当麻の部屋はその隣。

だったはずだ。


階段を上がってすぐ、
部屋の扉が開いていた。
窓に沿って置かれたベッドが見える。

そこに、見知った青い髪が揺れていた。

「…当麻?」

そこは、確か伸のベッド…?
なんでそこに当麻がいるのかわからずに、部屋へと入る。



そっと近づくと、仄かに目元を腫らした当麻が眠っていた。

嫌な予感が、背を駆ける。



…きっと、伸、無意識に自分のベッドに運んじゃったんだな。
きっとそうだ。
深い意味なんて ない。


自分にいい聞かせながら、そっと当麻の髪を撫でた。



ふと、香る、伸の残り香。



…このベッドのせいだ。

振りほどけない悪感を見ないようにして、当麻の額に唇を押し当てた。
不意にビクリと身が震える。
起きたかな?
もう一度、今度は唇に顔を近づける。

「…ぅわぁっ!」

小さく叫び声を上げて、当麻の腕が振り回された。
そのまま俺を突き飛ばす。
突然のことに、俺は驚いて床にしりもちをついた。

当麻はがばっと身を起こし、目を彷徨わせていた。
ひどく動揺したように肩で息をして、部屋を見回す。
俺の姿を見て、身体を固くした。

「…遼」

ここにいる人物が俺だと認識したのか、安堵の溜息と共に俺の名を呼ぶ。

「…当麻、大丈夫か?」

俺の言葉に、当麻は目を見開いて、不安げな表情を浮べた。
なにか、違うことを怯えているように。
…まるで、死刑を宣告されるのを待つ囚人のようだった。

「…怖い夢でもみたのか?」

続く俺の言葉に、固くしていた身を解く。

「…夢…・・・嫌な夢だった」

苦しそうに顔を歪める当麻を見つめて、俺は両手を差し出した。


…なにも、聞いてはいけない。
そんな気がしたから。


俺の意図を汲んだのか、当麻はそのまま俺の腕に身体を寄せてきた。
胸に押し当てられる頭を、そっと抱き締めた。

心臓の音を聞くように、当麻はじっと動かない。



「遼…」

小さく俺の名を呼び、胸に鼻をすりつけてくる。
俺の匂いを身に満たすかのように深く息を吸い込んだ。

「…遼…・・・りょお・・・・っ」

突然、張り詰めていた何かが切れるように、当麻は泣き出した。
壊れたレコードのように俺の名を呼び、涙を零し続ける。


「…当麻」
「りょぉ…・・りょ・お・・・!」


縋りつくように背に手をまわして、子供のように泣きじゃくる。
しっかりと抱きしめかえし、そっと髪を撫で続けた。









しばらくそうしていただろうか。
そのまま、当麻はまた眠ってしまった。

ショックなことがあると、人は忘却のため眠るという。

…なにか、あったのか?



起こさないようにそっと当麻を抱きかかえた。
ふと、紅いものが見えて、覗き込む。


…ジーンズとシャツのすそに、血がこびりついていた。



…どういうことなんだ?





混乱は増すばかりだ。


なんにしろ、ここに当麻を置いておきたくない。

六感が警笛を鳴らすのを止められないまま、そのまま廊下へと出た。
胸の中の当麻は、俺から離れるまいというように、シャツをしっかりと掴んでいる。






「…どこにいくんだい?」

部屋を出てすぐ、背後から声がして、驚いて振り返った。
そこには伸が、笑顔で立っていた。

「…伸」
「当麻と、どこいくの?」
「…どこって、俺たちの部屋に」
「別に、僕のベッド使ってくれてていいのに」

…なんだか、違和感を感じる。
ここにいるのは、本当に伸だよな?

伸なのに、なんだか空気が重く、痛い。
あんなに笑顔なのに、冷たい。

ぞっとする笑顔を貼り付けたまま、伸は俺を見ていた。



「…ん」

不意に、腕の中の当麻が身じろぐ。
俺の胸に顔を擦り付けて、満足げに息をついた。

「…部屋に戻るよ」
「そう?」

俺は、伸に背を向け、俺と当麻の部屋へと入っていった。



伸の視線が、いつまでも背に刺さっているようだった。







当麻をベッドに寝かせてベッドサイドに腰掛ける。


「…なにがあったんだよ…当麻……伸・・・」

誰にともなくそう呟いて、当麻の寝顔を見つめ続けていた。








*****************************************






痛みも
苦しみも
絶望も
全て乗り越えてきたのに。


それすら打ち消してしまうほどのもの。
それは、自分たちの中にあったのだ。

欲という名の生き物が。


…一緒にいては飲み込まれてしまう。







求天刹那 10







「…もう妖邪の影はないようだし、みんな帰ってもいいんじゃねえかな…」

俺は思い切ってそう切り出してみた。



ここ数日、屋敷内の空気は最低だった。

当麻は伸を避け、遼にべったりで、
遼も理由を知っているのかどうなのかわからないが、伸から当麻を守るように始終一緒にいる。
伸は当麻と話す機会を伺っているし、
征士はこのぎくしゃくとした空気に気付いているがどうしようもないという感じに普段通りを装っている。

俺はといえば、宙ぶらりんな気持ちを抱えて毎日悶々としていた。



…近くにいるから、いけないんだ。

そう考えての提案だった。







「そうだな、もう日常に帰ってもよい時期かもしれん」

征士が俺の言葉に乗ってくれた。
当麻も頷いて
「…俺もそれに賛成だ。秀が言い出さなかったら俺が提案しようと思っていた」と言う。

伸は微妙な顔をしてみんなを見回している。

「…でも、この屋敷を空にするわけにはいかないよ?まがりなりにもナスティから留守を預かってるんだもの」

「…それなら、俺がいるから平気だよ」
「遼…」

突然の遼の言葉に、俺と征士と伸は驚いて声を上げた。
当麻だけが、その遼の言葉動揺もせずに聞いている。


「俺、家帰っても誰もいないし、ナスティ帰ってもくるまで留守を預かる」

そう笑うと遼は当麻を見た。
当麻も笑って遼を見ていた。

「俺も、しばらくは週末に様子見に来るし…書斎の本、まだ全部見てないしな」



そういうことか。


…きっと二人は、誰かがこういうことを言い出すだろうと予想していたのだ。
誰かが言わなくても、自分たちが提案したのかもしれない。

いや、さっき当麻が言っていたじゃないか。
提案しようと思っていた、って。

そして、一番自然で、尚且つ二人が出来るかぎり一緒になれる生活を考えていたのだ。




「うむ、それなら安心だな」

征士は笑う。
俺はあいまいな顔をして一緒に笑った。
伸は、迷った顔のまま、眉をしかめている。
そりゃそうだ。生活管理していたのは伸だもんな。
そりゃ、不安にもなるわ。

…この惨事の首謀者も、お前だけどな。
そう毒づきながら、伸を眺めてしまう。

伸はそれでも、お母さんのような顔で、遼を見つめている。

「…でも、食事とかはどうするの?やっぱり僕も残…」

言いかける伸に、遼は首を降る。

「伸は家族が家で待ってるじゃないか…帰って、元気な姿を見せてあげてくれよ」

誰にも、文句は言わせない。
そんな声色で、遼はやさしく笑った。

家族のことを出されると、俺たちは弱い。
年中一人の遼と当麻だからこそ、帰ってあげて欲しいという言葉はなおさら俺たちに突き刺さる。
そう言われると、もうなにも言えなかった。

「…うん、そこまで言うなら」

伸も、溜息混じりに白旗を揚げた。
俺に顔を向け、「秀も、な?」と笑いかける。

お手上げなほど、見事な作戦だった。
腐っても、大将と智将。


「…おそれいったぜ」

両手を挙げてそう呟くと、当麻は少し苦笑いをして、俺の肩をたたいた。




そして、俺達は桜の木の下。

それぞれの生活に戻っていった。。






**********************************************






そばにいてくれる喜び。
そして、そばにいない悲しみ。

全部、君がくれた。


ずっと、欲しかったもの。



いま、この手に。




求天刹那 11





誰もいなくなったナスティ邸は、怖いほど静かで
俺はリビングのソファに毛布を持ってきて、そこで生活をしていた。


今日は金曜日。

まだあと1日もある。

みんなが帰って1ヶ月。
当麻が帰って、もう5日。

「…白炎」

そばにある温もりに頭を乗せ、ぼんやりとテレビを見ていた。



戦いが始まる前。

ずっとこうして、白炎と二人だったのに。


さびしい。





コツコツ。

窓を叩く音に、俺は目を覚ました。
いつの間にか眠ってたらしい。

時計を見ると、21時になろうというかというところだった。


こんな時間に…誰?


そっとカーテンを開けて、瞠目した。



「…当麻!」





「明日学校休みでさ。最終乗ってきた」

俺の隣で当麻が笑う。

「…まさか、来てくれるとは思わなかったから…」
「驚いた?」
「…ああ、すごく驚いた」


「…あと、すごく、嬉しかった」

堪えきれずに当麻に抱きつくと、当麻も嬉しそうに抱き返してくれた。






遼に会いたくて、学校帰り、つい新幹線に飛び乗った。

もしかしたら、いないかもしれない。
いつも感じる不安。
それでも、向かってしまう足は止められなかった。
新幹線の窓を眺めながら、小さく祈ってしまう。


駅についてすぐ、タクシーでナスティ邸まで向かう。

リビングのあたりに小さな灯りが見えて、ほっと胸を撫で下ろした。
そこに人がいる幸せ。
高鳴りを抑えるように、胸のあたりを押さえて、目的地の灯を見つめ続けた。



家について、庭のほうへと回る。
カーテンがかけられた窓に手を当て、叩いてみた。


コツコツ。


軽い音がして、少しするとカーテンが開く。

遼が驚いた顔で俺を見ていた。





「明日学校休みでさ。最終乗ってきた」

そう笑って言うと、ちょっと呆れた顔をして遼は笑った。

「…まさか、来てくれるとは思わなかったから…」
「驚いた?」
「…ああ、すごく驚いた」

そう言ったあと、少し肩をすくめて、遼は頬を染めた。
そして、満点の笑顔で俺を抱き締める。

「…あと、すごく、嬉しかった」

返事のかわりに、俺もしっかりと遼を抱き締めた。




「…ぁ…っ・・・りょ・お…!」

ぞくりとこみ上げる快感に、縋るものを探して手を彷徨わせた。
遼の手が、俺の手を掴み、
唇が、イタズラに指を噛む。

「ん・ぅ…はぁ…」

一糸纏わぬ姿で床に張り付けられる。
恥ずかしさよりも、欲望が先に俺さらってゆく。

両手を封じたまま、遼のそれが、俺のそれに擦り付けられる。
肉棒同士が擦れ合う。そんな生々しい感覚に、眩暈を覚えた。
電流が駆け巡り、身体の奥で、マグマが競りあがってくる。

「…ぅあ…りょ・」
「…どう?」
「……は・ぁ…っ」
「当麻のも、俺に擦りついてきてる…」

気持ちいいなんてもんじゃない。
もう、すぐに達してしまいそうだった。
とろりと溢れてくるものを擦りつけあい、高めあう。

「も、…駄目…・・ぁあ…」

ひくりと喉を鳴らして、俺は精を吐き出した。
遼も呼応するように、欲望を俺の腹にぶちまける。

「…んぅ…」
「…は・ぁ…・・・触らなくても、イケたろ?」
「…馬鹿」

頬が熱くなる。きっと真っ赤になってるんだろう。
遼は嬉しそうに笑って、握っていた手を離した。
そのまま双丘をそっと撫でてくる。

「…当麻」
「ん…」

キスを唇で受け止めて、遼の指が奥の窄みを撫でるのを受け入れた。

「ぁ…んぅ…っ!」

つぷり、と指が肉襞を撫でる。
少しづつ押し広げられて、ほぐされる。
その感覚は何度されても慣れない。
まるで、そこだけが熱をもってしまうかのように、
じんわりと熱くなってゆく。
肉壁がひくついて、たまらなくなる。

もっと
熱くて、太いもので塞いで欲しい。



「…当麻」
「りょ・お…も・・・早くぅ」

耐え切れず漏らした声は、まるで自分じゃないように甘く、遼を誘う。
遼は待てを解かれた犬のように、首じゅうにキスを降らせて、俺の双丘を鷲づかむ。

「ぁ…」

待ちかねたものが、そこに宛がわれる。
入り口を圧迫する、その熱さだけで、身がぶるりと震えた。

「…あ・・・ああ…あっ」

さっき達したそれと、新たに零れだす先走りが、手助けして
俺の中へ熱い塊を穿つ。
痛みはない。
内臓を押し上げる圧迫感と、壁を擦り上げる快感が
嵐のように俺を攫う。

狂ったように、腰を擦りつけ、遼を最奥まで飲み込んだ。

「りょ・お…っ!!あ・んぅ…」
「とうま・とうま・・・っ」

俺に誘われるように、遼も腰をスライドさせて欲望を引き出してゆく。
頭の先がジンジンと痺れて、なにも考えられなくなってしまう。
感じるのは、最奥の遼のことだけ。

「あ・もう・・・駄目だ・っ!」

「俺も…当麻…俺・・・っ」



噴出す欲望のままに、遼の腹にぶちまけ、
遼自身も、熱い猛りを俺の最奥に吐き出した。
熱い液体が、俺の中を満たし、隙間からあふれ出たそれは、
内股を伝い、俺が吐き出したものと交じり合う。


なんども繋がりあい、貪るように互いを求め合った。




日曜に帰るのが嫌になるくらいに、なんども なんども 抱き合った。







*******************************************







こんなに嫌な気持ちになるなら
罪を犯さなければよかった。
こんなに苦しくなるなら
許されなくても謝罪すればよかった。


言えなかったのは己の罪。


チャンスをください。





求天刹那 12





みんなと別れて、あれからしばらく経った。
僕は、東京に引っ越した。
高校を東京に決めたのと、姉さんが使っていたマンションが、
彼女が結婚することを期に空くこと。
この2つがタイミングよく噛み合ったからだ。

母さんは不安そうだったが、姉さんが一緒に暮らすことになったので、
僕は東京で一人で暮らすことに決めた。

…一人で考えたいことがたくさんあったからだ。




高校に無事合格して、あわただしかった周囲がやっとゆっくりと動き出す。

夏が真近に近づいて、ふと気づいた。


「…もうすぐ、遼の誕生日か…」

…これは、チャンスかもしれない。
そう思った。

…そして、僕は、当麻に連絡をとった。





『はい、羽柴です』

当麻の自宅に電話を掛けるのは初めてで少し緊張した。
当麻の声が、耳に心地よく響く。

…当麻、やっぱり好きだ。
でも、いまはそんなこと思っている場合じゃない。
少しでも、近くの存在に戻らなければ。

「…当麻、久しぶり」
『…伸?でも、この番号…東京の…』

電話の相手が僕だとわかって、当麻の声が少し硬くなった。
そしてディスプレイを見てか、当麻は少し驚いた声を上げている。

「そう。今度、僕、こっちに住むことになったんだよ。…一人暮らしだよ」
『…そう、なんだ』
「いつでも遊びにきなね」
『…ん、サンキュ』

相変わらずぎこちない会話に少し悲しくなった。…僕が悪いのだけど。

「あ、そうだ。来月遼の誕生日だろ?」
『え?あ、うん…』

会話を変えようと、明るい口調でそう言う。
まさか僕の口から遼の名前が出るとは思わなかったみたいで、当麻は微かに声を濁した。

「でさ、秀が宝くじ当てたの聞いたでしょ?どうせならそれ使ってさ、バーッとお祝いしようよ!」
『…それはいいな』
「でしょ?」

うまく食いついてくれたことに小さく口元だけで笑って、言葉を続ける。
これからが正念場だ…これが失敗すれば当麻は二度と電話にすら出てくれないかもしれない。


「でね、今度うちで秘密会議しようよ」
『…秘密会議?』

言葉に怪訝さが増す。

「もちろん、秀と征士も一緒。どこでやるかとか、細かいところ決めなきゃだろ?」

みんなが一緒だということで、当麻が安心した風なのが読んで取れた。

『…うん、そうだな』
「じゃあいつ頃になるか、決まったらまた連絡するね?なにかあったらこっちに連絡してよね」
『ん、わかった』
「あ、くれぐれも遼には秘密だよ?」
『ああ、わかってるって』
「じゃあ」
『おう』

当麻が電話を切るのを確認して、僕も電話を切った。

少しは僕に対する壁が消えてくれることを期待するよ…。
そう祈って、電話を眺める。











数日後、伸のマンションの前に俺達3人はいた。

「いいな、こんなところに一人暮らしなんてよ」

心に残るわだかまりを捨てるように、わざと明るくそう言った。


伸も言ってたじゃねえか。

『当麻にはとても悪いことをしたと思ってる…。こうでもしないと当麻に謝る機会がないんだ…
お願いだよ秀。そのために遼の誕生日パーティは成功させないといけないんだよ』

改善しているものにわざわざ水を差すことはない。
俺は、少しでもその手伝いができれば万々歳じゃないか。

当麻も征士と楽しそうに話をしながらエレベーターを待っている。

…ま、当麻も結構のんきなやつだからな。




伸は嬉しそうに俺たちを迎え入れた。
奥のリビングに通される。

向かう途中の廊下には3つ扉があった。

「なあ、伸。この部屋ってどうなってんの?」
「ああ、ここトイレね。あと、こっちが僕の寝室と、向こうが姉さんが使ってた部屋だよ。…まあ、
姉さんの荷物が残ってるし、僕もダンボールとか置いてるから物置代わりって感じかな」
「へえ…すげえな」

そしてリビングがまた広くて驚いた。
俺の部屋より広いでやんの。

「…こんなところに一人かよ」

つい声が漏れてしまう。
と、当麻が俺の肩を突付いた。

「うちのマンションも、こんくらいあるぜ?」
「…悪かったな、狭い部屋で!」
「秀の家は店をやっているのだ、その分敷地を使っているのだし、しかたなかろう」

そうだけどよ!
そういや、当麻もマンション暮らしか。
こんな地面から遠いところに住む奴の気が知れねえぜ。



「さて、遼の誕生日パーティだけど、日にちはどうする?やっぱり15日がいいのかな?」

伸がそう提案すると、当麻が少し困った顔をしていた。
何故か征士も困った顔をしている。

「…できれば、20日あたりにせんか?」
「なにかあるのか?」
「…ちょっと伊達家のことで、しばらくNYに行くのだ。もしかすると15日には戻ってこられないかもしれん。
20日なら確実に日本へ戻ってきているだろう」
「へえ、NY…」

なんか征士らしくない場所に俺たちはつい互いを見合ってしまった。

「じゃあ、20日にしよう…会場はどうしようか」
「やっぱり新宿周辺で…できればパーティー会場ってところがいいかな」
「んじゃ、俺がパソコンで少し調べてみるよ」


結局、会場探しは当麻、料理は伸ということになった。
純とナスティに飾りつけ係を頼むことにして、俺は金係らしい。
こいつらに当たったなんていわなきゃ良かったかな。

征士は手伝いも出来ないな、と嘆いていたが、まあ、出かけなら仕方ねえよな。

にしてもNYか…いいなあ。






帰る間際、下まで送ってゆくとついてきた伸がこっそりと当麻の隣に立った。
俺はいけないと思いつつ、征士と二人少し距離をとって二人の会話に耳をそばだてる。

「…当麻」
「ん?」

伸の声は、低い。
当麻は突然声を掛けられて驚いているようだった。

「…前は、ごめん」
「……」
「もう、あんな馬鹿な真似しない」
「…」
「…ゆるしてくれる?」
「…もう、あんな怖いの嫌だからな」
「…ありがとう」

…本当か?と、つい疑ってしまいそうになったが、ともあれ仲直りできたなら良しだ。
仲間同士でいがみ合ってるのって、やっぱり嫌だもんな。








『会場、NSビルが取れたぞ』

次の日の夕方、当麻から電話があった。
さっそく調べて会場をとったらしい。
早い行動に僕は面食らった。
…まあ、あと1ヶ月くらいしかないし、早いにこしたことはないんだけどね。

『秀には取る前に連絡したからさ。伸にも一応言っとこうと思って』
「あ、ああ。了解。広さどれくらいなの?」
『えっとな…エレベータ入り口が真ん中にあって直接部屋なんだ。広さは…』
「…僕が悪かった。言葉じゃわかんないよ」
『じゃあ、今週の日曜にお前んちに図面持ってくよ』
「え?」
『なんか予定あったか?』
「う・ううん…平気」
『んじゃ、よろしくな』


電話はあっさりと切れてしまった。

「…当麻、本当に許してくれたの?」

あまりにも、あっけない修復に、喜ぶよりも驚くことに意識がいってしまった。







*******************************************





隠される不安。
隠す罪悪感。
ごまかす期待。

極秘計画の裏で、入り乱れる心。




求天刹那 13




『…ごめんな遼』

電話の向こうで、当麻が謝ってくる。
今週は用事があってこっちにこられないらしい。

「…残念だけど、仕方ないよ。で、用事ってなんなんだ?」
『えっと…ちょっとな』
「…なんだよそれ」
『いずれ話すよ…とりあえずごめんな。来週は絶対行くから』
「あ、ちょっ…当麻!」

慌てた風に電話は切れてしまった。

なにか絶対隠してる風で、俺は不安に苛まれながら電話をじっと見ていた。






…危なかった。
遼に嘘つきたくないけど、秘密にしないといけないし。

そう思いながら、手に持った電話を眺めた。

遼、怒ったかな…
土曜日だけでも行こうか…いや、絶対帰りたくなくなるから駄目だ。
…遼の腕の強さを思い出すだけで、疼きが目覚めてしまいそうなのに、
会って、抱きしめられたら…

…絶対歯止めきかないよ。

一人で焦りながら、真っ赤になった顔を仰いだ。

とりあえず、早く20日のこと全部決めて、そっち準備しながら15日に遼にあげるものも考えなきゃ。


遼、喜んでくれるといいよな。












日曜日。
僕は家でそわそわしながら連絡を待った。
どうせ、秀とかも一緒なんだろうけど。
それでも当麻が許してくれて、また来てくれる。それが嬉しかった。

ピンポン。

インターフォンが軽い音を立てる。
慌ててドアへと向かった。

「いらっしゃ…」

言いかけた言葉は、途中で固まった。
…当麻は。一人で立っていたのだ。

「オス」
「…あれ、一人?」
「まあな」
「あ、…とりあえず中どうぞ」
「ああ、おじゃまします」

これは、もしかすると…

つい期待に胸を膨らませてしまう。


「で、これ図面。あと、照明とか使うのあるなら、こっちもかかるって」

当麻はかばんから数枚の紙を差し出した。
そこには会場の図面と、金額表らしきものが印刷されていた。

部屋は大きな四角形で、一面を窓が占めていた。
窓近くの天井に小さな四角が書いてある。
これなんだろ?

「…この四角なに?」
「ああ、それは据付のテレビだって。つけてもつけなくても金はかかんねえってさ。ニュース掛けといてくれると何かあったときに便利だって言われた」
「…ふぅん」

テレビ見放題か…なんか変なの。
はじっこに小さな給水コーナーがあるけど、料理つくるのは無理そうだし。

「やっぱり料理は作って持っていくほうがいいね」
「ああ…床はタイルだから飲み物こぼしても平気だぜ。あと、この扉の中に机と椅子が…」

紙の上を、当麻の白い指が滑る。
それだけで、無性にドキドキしてしまう。



「…当麻」

「あ、そうだ。もうすぐ秀と純がこっちにくることになってるから」


突然の単語に僕は固まった。
なんで秀?なんで純?

「…へ?」
「だって飾り係あいつらだもん、一緒に考えたほうが早いだろ?」
「…まあ、そうだけど」
「ジュースとか買ってくるらしいぜ」

早く来ないかな、と笑う当麻に、僕は小さく溜息をついた。


…そういうオチか。

心の底で、チッ、と舌打ちをする。


まあ、なにもしないって誓いをしたのは僕だ。
それを破らなかっただけよしとしよう。




…いまのところはね。







***************************************






誕生日、おめでとう。
きみに最高のプレゼント。

…当人は、不本意ながら。だけど。



求天刹那 14





15日、俺はケーキを持って遼の元を訪れた。
遼には行くとは言ってなかったけど…。


「おめでとう、遼」

扉を開けての第一声。
突然そう言われて、遼は面食らったように目をパチパチさせている。

「当麻…ありがとう」

嬉しそうに俺に笑いかける姿を見ていると、こっちまで嬉しくなってくる。

「まさか来るとは思ってなかったぜ」
「遼のことだから誕生日のこと忘れてるんじゃないかって思ってた」
「そんなことないぜ?みんなから連絡ないから、少しさびしかったけど」
「…は・ははは、きっと今日の夜にはみんなから電話とかくるんじゃないかな?」

みんな20日のことが頭いっぱいで、今日にフォロー入れるの忘れてるんだよな。
あとで秀あたりに連絡入れるようにいっとこう。

俺は家から持ってきたジュースを遼に渡した。
それは、冷蔵庫にあったやつで、オレンジの絵が書いてある缶ジュースだった。
親父のだったのか、数本あったので、失敬してきたのだ。

遼はそれを見て一瞬不思議そうな顔をした。
しかしなにも言わずにグラスにそれを注ぐ。
綺麗なオレンジの液体がグラスに満たされた。

「あ、そうだ遼、プレゼントな…いいの見つかんなくて…明日にでも一緒に買い物いこうぜ?」
「プレゼントなんていらないのに」
「そうはいかないだろ…」

ちゃんとプレゼントはあげたい。
初めて…恋人の誕生日を祝うんだし。

「…じゃあさ、いま欲しいな」
「…だから、用意してないんだよ」
「そうじゃなくてさ…」

そう言って、遼は悪戯げに俺を見上げた。
なんのことかわからず首を傾げてしまう。
遼はグラスを俺に飲むように進める。
甘いジュースが、喉に滲みる。
…仄かに苦味を感じるのは、100パーセントじゃないからか?
眉間に皺を寄せながらも、俺はそれを飲み干した。

「…当麻って本当にこういうとき鈍いなあ」

呆れたようにそういわれて、ついかちんときてしまう。

「…遼に鈍いって言われたくないな」
「なんだよそれ…・・そうじゃなくてさ…」

腰に手を回されて、息を飲んだ。
いやらしい手つきで、遼の手が俺の尻を撫でる。

「…当麻を、欲しいんだけど?」

耳に吹き込まれ、ぞくりと背に熱いものが駆け上った。
ぶるりと身体を震わせる俺を見て、遼は嬉しそうに唇を近づける。

「…当麻、もう感じてんのかよ」
「ち・違う!」
「で、どうなんだよ」
「なにが…」
「くれるの?くれないの?」

熱い視線でねめつけられて、誰がNOなんて言えようか。
でも、悔しいから・・・

「…俺は、もう随分前から、遼のものだけど?」

精一杯強がって、そう言ってみる。
遼はきょとんと目を丸くしたあと、声を上げて笑った。
そんな笑うことかよ…
俺はむかむかする気持ちを押し流すように、もう一度ジュースを飲んだ。

ふてくされている俺に、遼は目じりに溜まった涙を拭きながらキスを降らせ、肩を抱き寄せる。
なんだか、顔が熱い。
気のせいか、胃のあたりも熱くなってきたようだった。

「そうだったな、当麻はもう、俺のもんだもんな」

そんな俺の変化に笑いながら、遼は顔近づけてゆく。
耳たぶの弱いところをねっとりと舐められて、遼にしがみついた。
膝がとろけるまで深くキスを交わして、遼は俺をソファまで運ぶ。
もどかしく服を掻き開き、胸の突起にむしゃぶりついた。

肉厚な遼の舌が、俺の敏感な部分を這い回る。

「…っ・んあ・・」

つい漏れた声に、俺はつい口に手を当て、声を殺す。

「…当麻、声聞かせて?」
「…ゃ・だ…っ」
「俺の誕生日・だろ?」

そう言いながら、口を塞ぐ俺の手に唇を重ねる。
舌で、指の間をなぞり、唾液をたっぷりと滴らせてゆく。
それだけで、俺の半身はずくりと頭をもたげてきてしまう。

「…っ・んぅ」
「当麻…」

命令するように、視線が俺を射抜く。
言うことを聞かないといけないような、そんな気分にさせるその目に誘われるように、
俺は口から手を離した。

「よくできました」
「んぅ・…ふぁ・・・ああっ」

ご褒美といわんばかりに、臍のあたりを爪で掻かれて甘い痺れが脳天を駆ける。

「自分で脱いで、俺に見せて」

俺はよろよろとジーンズに手をかけた。
前戯でとろけきっている思考で、俺の手は力が入らずにズボンのボタンがうまく外れない。
前は既に張り詰めて、苦しいくらいなのに。

「…りょ・おっ」
「なに?脱げないのか?」
「ち・が…うまく…」
「じゃあ脱がなくてもいいか」
「…え?」

不意に視界から遼の姿が消える。
と、ジーパンの上から、圧迫感が布を押し上げている箇所に込められる。
遼が、ジーパンの上から、歯を立てているのだ。

「ちょ・遼!な・・・んぁあっ」

唾液と先走りで、ジーパンがじわりと濡れる。
これ以上起き上がれない苦しさと、生温かい感触に、俺は頭の中が真っ白になった。

「ぁ・やあっ…りょぉおっ!」
「だって脱げないんじゃしかたないだろ?」
「そん・・・・んふ・ぅ…っ」

じゅぷ・と音を立てて、布越しになおも刺激を与えてゆく。
痛いほど張り詰めたそこは、限界を超えて疼いていた。
はやく、出させてくれ…っ!

「…っ・んんっ……!?」

不意に布越しの圧迫感が消える。
苦しさに瞑っていた目をそっとあけて覗き見ると、遼も楽しそうに俺を見下ろしていた。

「…りょ・?」
「イきたい?」

楽しそうに尋ねられて、俺はこくこくと頭を縦に振った。
もう、どうにかなってしまいそうだ。
早く、出させて…っ

しかし、遼は楽しそうな顔で、残酷なことを言い出した。

「そのまま、自分でしてみせてくれよ?」
「…はぁ?」
「ほら、ココ空けて、さ」

ジジ・・・とジーパンの入り口を緩められる。
ボタンをあけないで、そこだけ開かれると、俺の分身は勢い良く窓から顔を出した。

「ん・ふぅっ…」

開放感に、つい息が漏れる。

「で、ここに、当麻の手を乗せて、ほら…」

いきりたつ自身に手を添えられる。
直接的な指の感触に、ぎりぎりなそこは嬉しそうに震えてしまう。

「…でもっ」
「なに?見られて恥ずかしい?」
「…っ」

言葉にされて、更に遼の視線が肌に痛い。
視姦される恥ずかしさに、そこからは先走りがじわりと染み出していた。

「ほら、苦しいだろ?はやく」

「ん…ぅ」

躊躇っている俺に、遼はそっと横に座った。
そして、ピンと立ち上がっている胸の突起を摘み上げた。

「んぁ…あっ」

痺れるような快感が、ダイレクトに下肢に響く。
俺はたまらず、絡めた指に力を入れる。
一度与えてしまえば、とめられるはずもない。
俺は自分が与える刺激に流されるように、そこに這わせた指を上下に擦り合わせた。
たちまち溢れはじめる快楽。
遼が、見てる。
それだけで、もう、止まらなかった。
湧き出す液体を竿に塗りつけ、出口に向かって突き進んでゆく。
いつのまにか、空いた左手は胸に伸びて、勝手に突起を揉み摘んでいる。

「は・ぁあ…っ…んんっ」

意識が、白濁としてゆく。
もう、出口しか見えない。

「あ・でる…っ…んぁ・・・りょ・おおっ!」

目の前が、涙でかすむ。
遼は楽しそうに様子を見ながら、俺のそこに指を伸ばした。
どくん。
遼の指が、先端に爪を立てる。
入り口が、仄かに開く。
そこから、限界まで耐えていた欲望が、勢い良く吐き出された。

「んん…っ・・・・っ!」

遼の指を、俺の手を、下肢を
いっぱいに濡らし、白濁とした液体がぶちまけられる。

「は・ぁ…ああ・・・」
「当麻…すごく、綺麗だった…」

息も絶え絶えの脳裏に、遼の声が響く。
俺はぐったりとしたまま、遼を見上げた。

遼はぐっょりと濡れたジーンズのボタンを外し、パンツごとズボンを引き抜いた。
そして、きゅうっ、と締まっている後孔に指を這わせた。

「んぅ・ぁ・・・っ」
「俺も、気持ちよくなりたい」
「りょお・・・」

遼はそのまま、膝をつき、指を這わせたそこに顔を近づけた。

ぬめりと、しめったものが宛がわれる。

「ん・ぁ…ぅんっ」

それが、遼の舌だとすぐに気づけるほど、俺の脳はうまく動いていなかった。
ぴちゃり、と艶かしい音がそこから響く。

「ぁ・っ…りょ・・・だ・めぇ…だ!あ・・・んんっ」

舌と指で、舐めこねくられて、果てたはずのそこがまた頭をもたげ始めた。
奥深く突き入れた指が曲げられ、肉壁を押し拡げる。

「ああ…っ」
「当麻…いい?」
「イイ・よぉ…っ」

俺はもう馬鹿みたいに、恥ずかしい言葉を口にしていた。
遼もそれを知ってか、変なことばかり聞いてくる。

「この中、すごく熱いよ…」
「もっと、熱いもの…入れてぇ」
「なにがいい?」
「りょおの…はやく…ほしい・・・っ」

頭の芯がぽーっとする。
今なら、なんでも言えてしまいそうだ。
どうしたんだろ。

「じゃあ、俺の上に乗って?」
「うえ?」
「そう…ほら、ここ、跨いで?」
「んん…ぁ…っ・・・」

遼を跨ぐと、熱い楔がほぐされた入り口に当たる。
俺は、ひくつくそこに、ゆっくりと遼を埋めていった。

「あぁ…ううう う うっ」

ものすごい圧迫感と共に、熱い塊が、俺の内壁を擦り上げてゆく。
それでも疼きは止まらなくて、最奥まで腰を落とし、遼を受け入れる。

「んん…りょぉ・おっ…おれ・・・へんだよぉ・・・」
「そりゃ、あれだけ飲めばな…にしても、当麻がこんなに弱いとはしらなかったぜ?」
「なに・?んんっ!」

ぐいっと突き上げられて、遼の言葉の意味が考えられない。
俺はぐちゃぐちゃになる思考をまとめられないまま、遼に揺さぶられ続けた。
遼の腹に手を当て、飛び上がる身体を、必死に支える。
抜けそうになり、踏ん張ると、最奥まで貫かれる。

「んぁ…ああっ!…もっとぉ…っりょぉおおっ!」

ぐちゃぐちゃと結合部から、甘い音が漏れ、俺はただ、遼のそれだけを感じて声を上げていた。
目の裏がスパークする。
奥の楔が、あつくたぎる。
限界はとうに過ぎていた。

「あ・あ・あっ…でる・ぅっ」
「とーま・・俺も…も・・」
「んんんっ!んぁ・ん」



熱が、波になって吐き出される。
同じ熱さの、液体が、最奥に叩きつけられる。
いっぱいに満たされて、俺は遼の上に座ったまま、ぐったりと前かがみに倒れた。







「とーまっ、とーまってば」
「んん…?」

遼の腕の中で、俺は目が覚めた。
抱きかかえられた腕に頭を乗せて、寝入っていたらしい。

…夢かぁ。
そりゃそうだよな。俺があんな…・・・あんなこと言うなんて、ありえない。

そう思いながら、ふと、下肢にうずくものを感じて、下を覗き込んだ。



「…ひ・あ」
「どうした?」

俺は裸で、体育すわりみたいな格好で遼の上に跨っていた。
遼は、ソファに座ったまま、俺を貫いている。

「当麻ってば、そのまま失神しちまうんだもんな。そんなによかった?」
「あ・あの…え?」
「にしても、まさかあんなに当麻が酒に弱いなんて知らなかったな…しかも、あんなに積極的になってくれるなんて」
「…さけ?」
「当麻が持ってきたの、あれカンパリオレンジだろ?」
「…!?」
「あれ、気づいてなかったのか?確かに弱いから飲みやすいけど…」
「……」
「当麻から、あんな色っぽいお誘いもらえるとは思わなかったぜ!最高の誕生日プレゼントだ。…当麻?」



あれは、夢じゃなかった。
しかも、自分で持ってきたあれが…酒・・・
よっぱらって…・・ ・ ・  

もう、消えてしまいたい。
真っ白になる思考をどうにか抑えて、俺は机の上にあるグラスを見下ろしたのだった。







*******************************************






準備万全用意周到。
最高の笑顔で君を祝うために。
祭りは準備がまた楽し。



求天刹那 15



19日の朝、朝食を取ってしばらくすると、当麻はなにか紙に文字を書き始めた。
それを白い封筒に入れると、荷物を持って立ち上がる。
俺を探すように視線を泳がせた。俺と視線が合う。

「当麻?」
「あ、遼。俺、そろそろ帰るな」
「そうか?もっとゆっくりしてけばいいのに…」
「あー…そうも行かないんだ…あ、そうそう。これ」

そう言って、俺に手に持っていた白い封筒を渡した。

「…なに?」
「俺が行ってから見てくれよ」
「…うん」
「じゃあ、またな」

意味深な笑みを浮べて、当麻は出て行った。

なんだろう。




開いてみると、バースディカードと、メモが入っていた。
カードの裏には地図らしきものが書かれている。

「…なになに?」

−20日の夕方6時、新宿のNSビル13階ホールに来て欲しい。
服はベッドの下に用意してある。
場所がわからないだろうから同封のカードに地図書いといたから見ながら来てくれ。
じゃあ、また明日。
HAPPY BIRTHDAY
当麻。


俺はベッドの下を覗き込んでみた。
そこには紙袋が置いてある。

「…タキシード」

俺の部屋の引き出しにあったやつだよなコレ…
いつの間にそんな用意をしたのかと驚きながら、俺は嬉しさに顔を綻ばせた。




遼の奴、あの格好のままで来るかなあ。
新宿に向かう電車のなか、俺は笑いをこらえた。
遼の部屋にある、一番パーティっぽい服があれだったんだもんな…
…にしてもタキシードなんて、なんで持ってたんだろ?
…かっこいいけどさ…なんだかな。

ふと、遼があれを着ている姿を想像してみる。


…やばい。かっこよすぎだろ。

電車の中だって言うのに、顔が赤くなってゆくのが自分でもわかる。
疼きが我慢できなくなる前にさっさと寝てしまおう。
そう考えて、俺は手すりに頭を乗せて、目を閉じた。






パーティ準備、ということで、僕のマンションには当麻と秀・そして純が泊まりにきていた。
ナスティは大学から直接向かうということだった。
征士は未だNYから帰ってきていないようで、連絡がない。
僕は台所で秀と二人、料理の下ごしらえをしていた。
リビングでは当麻が純と楽しそうに飾りつけを作っていた。

「えーっ!当麻兄ちゃん作ったことないの!?誕生日っていったら折り紙の鎖に、カラーティッシュの花!定番でしょ?」
「…そういうもんなのか」
「そういうものなの!」
「ふーん…わざわざつくんなくったって買ってくればいいんじゃないのか?」
「だめだよ!そんなこと言うと征士兄ちゃんに怒られるよ?『貴様には人をもてなす心がわからんのか!』って」
「…征士の真似、うまいなぁ」


…僕もあっちに混ざりたいな〜


「手がお留守だぜ、シェフ?」

秀がパシンと僕の肩を叩いて笑う。
なんだかいい見張りができちゃったもんだな。
秀にベッと舌を出して、手元のクリームに視線を戻す。
最高の料理と、楽しい時間で、あの頃を取り戻すんだ。
全部忘れて、仲間として。

…忘れられるかはわからないけど。


「頑張ろうな料理長」

秀にそう言ってやると、驚きと笑顔がごっちゃになった顔で、僕を見る。
そして
「あったりまえだろ!」
と、僕の頭をぐしゃりと撫でた。








******************************************







驚いた君の顔が嬉しそうに綻ぶ。
それが見たかった。
大成功のサプライズパーティ。
だけど、
それが波乱の幕開け。



求天刹那 16



もうすぐ来るはず。
時計は6時をさそうとしていた。
僕は当麻兄ちゃんと二人、窓から下を覗き込んでいた。
こんなことしたって遼兄ちゃんが見えるはずないんだけどね。

「当麻兄ちゃん…本当にちゃんと遼兄ちゃんに今日だって言ったんだよね?」
「…遠まわしにしすぎたかな?」
頼りない言葉に僕は当麻兄ちゃんを見上げた。
困った顔で、窓を覗き込む当麻兄ちゃんは、なんだか随分優しい顔立ちになった気がする。

「遠まわしじゃ遼兄ちゃん気づかないかもね」
「だよな…」

ふと、視線を落として、当麻兄ちゃんは口元に笑みを浮べた。

「…絶対遼のほうが鈍いよなぁ」
「そうだねぇ」

少し嬉しそうにそう言う当麻兄ちゃんに相槌を打ってから、らしくない様子につい笑ってしまった。
当麻兄ちゃんは不思議そうな顔をして僕を見下ろす。

「何?」
「遼兄ちゃんが鈍いと、なんで当麻兄ちゃんが楽しそうなのかなあって思ってさ」
「ああ…この間さ、遼に鈍いって言われてさ…絶対遼のほうが鈍いよな?」

声を弾ませてそう言ってから、当麻兄ちゃんは不意に少し顔を赤らめた。
なんか面白い。
当麻兄ちゃん、やっぱりなんか変わったかな。
なんていうか…
「…当麻兄ちゃん、可愛くなったよね」
つい声に出してそう言ってしまった。
当麻兄ちゃんはあっけに取られた顔をして、僕を見下ろしている。

「俺が?かわいい???」

そう言って、噴出して笑い出した。
なんか馬鹿にされてるようで、僕はぷう、と顔を膨らませた。

「笑うことないじゃない!可愛いとおもったんだもん!」
「はいはい、子供がナマいってんなよ?」
「なまなんて言ってないよ?」
「そういう意味じゃないんだけどな」

そう笑って僕の頭を撫でる。
僕もつられて笑った。

僕は今の当麻兄ちゃんのほうが親しみが持てて好きだと思った。





俺のために、皆がパーティを開いてくれた。
とても嬉しかったし、とても楽しかった。
当麻がこそこそ隠しゴトしていた理由もわかったし。

でも、
いままで避けていたはずなのに、伸と随分仲良さげに話している。
そのことが腑に落ちなくて、俺はジュースを酌み交わす二人をぼんやりと見てしまっていた。

…部屋の隅で流しっぱなしになっていたテレビが鎧を映し出さなければ、ムカムカとした気持ちを押し殺してしまっていたかもしれない・



「なーりょお〜、おめでとうな〜?」
「うんうん、ありがとう」
「ごめんな遼…当麻!もっとしゃんとしろよ〜」

純が早めに帰って、少ししたころから秀がいつのまにか飲み物の一部を酒にすり替えていたらしく、
当麻は酔ってしまっていた。
俺も少し飲んでしまったが、当麻ほど酔わなかった。
…当麻が弱すぎるんだろうな。

「今日、うち泊まっていけば?」

首にしがみついて笑う当麻を困ったように抱えていた俺に、伸がそう声をかけてくれる。
なんでも伸は今年の春からこっちに一人暮らししていたらしい。
…そんなこと、一言も聞いてなかったけど。

「大丈夫だよ、純送って戻ってきたらナスティに乗せてもらって一緒に帰るから」
「そーぉ。俺もナスティんとこにお泊りしてくから、へーきだーぞっ」
「そう?とりあえず片付け終わるまでそこで酔っ払いの相手頼むね?」

困ったように笑って、伸は行ってしまった。

「なあ、当麻…さっきさテレビで光輪の鎧が出てたのみたか?」
「こーりんのぉ?」
「ああ…もしかすると征士なにかあったのかもしれない」
「そっか…せーじのやつ、こないと思ったら…むー」
眉間に皺を寄せて、当麻は遠くを眺めた。
「…向こうに永住するきだったのか」
…駄目だ。
「NYに言ってみようと思うんだ…当麻は待っててくれよな?」
「えー、なんで俺行っちゃだめなんだよぉ」
「お前、家に帰んないとだろ?俺明日そのまま行っちゃうから…確認したらすぐに戻ってくるからさ」
「んー…じゃあ、今日じっくり付き合ってくれたら、いいぜ?」

とろんとした目のままそう囁かれ、手を握られる。
指先を軽く噛まれて、俺は下肢がずくんと反応を示すのを感じた。
酔ってるときの当麻は、積極的で少し困る。

「…こんなところで、元気だな、りょおは…」

くすりと笑みを零して、当麻は噛んだ指をそのまま口腔内に導いてゆく。
ちゅる、と音を立てて舐められて、俺のそこは困った状況になってしまった。

「当麻…ごめんっ…ちょっと待ってろよ?」

慌てて身体を離して、俺はトイレに駆け込んだ。






純を送って戻ってくると、会場はあらかた片付けられていた。
部屋の隅の椅子に座ってぼんやりとしている当麻を見つけて近寄る。
確か遼と当麻は一緒に私のところに泊まるって言ってたと思ったんだけど。

「当麻、遼は?」

当麻の隣に腰掛けて尋ねると、当麻はとろんとした瞳のまま、私を見上げた。

「あーなすてぃー…りょおは、トイレだって…」
「あらそうなの?…当麻あなた随分酔ってるわね…」
「うん…しゅーが…酒いれてたんだってさー」
「まぁ…あの子ったら!」

怒らないと!と思って立ち上がろうとすると、当麻は突然まじめな顔で私のすそを引っ張った。

「それよりナスティ…遼がな…NYに行くって…」
「NY…?征士になにかあったの?」
「なにかあったわけじゃない…けど、気になるからって…どうしようか?」
「どうしようってねえ…とりあえず、秀に相談してみましょう」
「うん、あいつ金持ってるから・な・・・」
「そういう意味じゃないのよ?…まあ、それもあるんだけど…」
「りょー・に・・ないしょ・な…じゃな・いと・・・」

不意に当麻の声が遠のく。
見下ろすと、当麻はぐっすりと眠っていた。

…さっきの話は本当かしら。
眠る当麻に溜息をついて、私は秀を探そうと立ち上がった。







***************************************************






メビウス。
異国の地で、
力に魅入られたもののせいで、
鎧は、負の力を産む。
それをとめるのもまた鎧の力。
愚かしい、メビウスの輪。





求天刹那 17





NYに着くなり手荒い歓迎を受けた俺たちだったが、
なんとか合流することが出来た。

そんなチンおじさんの店で、騒動はおきた。
ルナとかいう女が突然現れて当麻に襲い掛かったのだ。



遼がその女を庇ったのがどうしても許せなくて
俺は当麻を引きずってきてしまった。
ホテルの部屋は2人部屋で、必然的に
俺と当麻・伸と遼・ナスティと純という組み合わせになってしまったが。

…当麻を連れ出した本当の理由は、部屋割りをこうしたかったっていうのもあったんだけど。







秀のやつが当麻を連れ出してしまったために、僕は遼と同室になってしまった。
なんだか変に気まずい空気で、二人とも早々に寝てしまったんだけど。

朝になって先に目が覚めたのは僕だった。

少しうなされているような遼の様子をなんのきなく眺めて
このまま首をしめてしまおうか、なんて。
出来もしないことを考えてみたり。

まだ、引きずってるみたい。



…当麻、今頃なにしてるのかなぁ。








俺は秀と二人、朝飯を食べにハンバーガーショップへ来ていた。
本場のハンバーガーが食べてみたかったのと、
秀の奴がなんとなく遼と顔をあわせたくなさそうだったからだ。
秀はハンバーガーの包みを開きながら、申し訳なさそうに俺を見る。

「当麻、ごめんな、遼と一緒の部屋にしてやらなくて」

突然なに言い出すのかとジュースを吹きそうになりながら、俺は秀を凝視した。

「俺知ってんだぜ?お前が遼と…っての。んで、伸が、お前のこと…ってのも、全部」

驚きに固まる俺を置いて、秀はそう言い、ハンバーガーを飲み込んだ。
そして、俺を見つめる。真摯な瞳で。

「…んで、俺は、伸が好きなんだ」
「…は?」

「ある意味お前は俺の恋敵ってわけだ。でも、ま…だからってなにかどうってのはないぜ?今回はさ…
お前と伸は同室にしたくなかったし、かといってお前と遼を同室にすると、伸が嫌な気持ちになるだろ?
だから、俺なりに考えちゃったわけよ」

新しいハンバーガーを一口で食べて、秀は、はぁ、と溜息をついた。
なるほど。そういう考えがあったわけか。

「…お前が遼にベタぼれなのわかってっし、それに、大食い仲間がいなくなるのも嫌だ」
「…秀」
「もしなんか困ったことあったら、いつでも言えよ?助けてやるからな?」

そう笑って、秀はふと宙を睨んだ。

「…伸のやつが、また暴走しないとも限らんしな」
「…え?」

「…いや、こっちの話だ。にしてもむかつくなあ!…あの女なんなんだ!伯父貴の店めちゃめちゃにしやがって!」

ジュースをズズーーッと飲み干して、秀はそうわめいた。
もうすっかりいつもの秀だった。

「伸と遼のやつには手を焼くよな!!」


ぎゃいぎゃいとわめく秀に、救われている。
そんな気がした。







ルナという少女に結果助けられて、俺たちはホテルに戻ってきた。
当麻が負傷してしまったことが、俺の心に重くのしかかっていた。
俺が、離れていなければ、当麻は怪我しなくて済んだかもしれないのに。

4人そろっていれば、チンさんの店が荒らされなかったかもしれないのに

ナスティや純も、危ない目にあわなかったかもしれないのに。


そう思っていたら、いてもたってもいられなかった。



「当麻の傷が治ったら、助けにいこう」

その言葉に、みんなうなずいてくれた。

…ルナだけは、微妙な顔をして、俺を見つめていた。








*******************************************





悲しみが、人を強くする。
悲しみが、人に負の心を持たせる。
裏のないメビウス。
裏しかないメビウス。
そんなものは存在しないのだ。

裏が巡る前に。
散った、儚い彼女は、とても強い眼差しの子だった。



求天刹那 18




ルナは、いつのまにか俺たちの仲間のようになっていた。
たった数日のあいだなのに、随分なつかれたもんだと失笑してしまう。

ああいうタイプは、少し、苦手かもしれない。

ルナは、特に遼のことを気に入った様子で、ホテルでも、始終べったりとしている。
そして、遼も、まんざらでもなさそうだった。

…それが少し、俺を苛立たせた。





「あんたさ」
「ん?」
「遼のなんなの?」

ベッドの上に横たわる俺に、ルナはそう切り出した。
突然のことに俺は目を泳がせた。
なんてこと聞くんだこの女は!

「…なにって…仲間だよ、とても大事な、な。」
「ふぅん」

慌てる心臓をぐっと押さえて、俺はそう言った。
嘘は言ってない。
少し心苦しいけど。

ルナは俺を値踏みするようにじろりと眺めて、突然笑顔を作った。

「じゃあさ、あたしのことはどう思う?」
「…は?」
「あたしのこと、どう思うって聞いてるの」
「…突拍子のない奴だと思ってるよ」

一瞬の沈黙のあと、ルナはむすっとした顔でベッドサイドに腰掛けた。

「じゃあさ、もうひとつ質問。…遼は、付き合ってる人とかいるわけ?」

結局そこが聞きたいわけか。

「そんなの、遼に聞けよ」
「聞けるわけないだろ!だからあんたに頼んでるんじゃないか!」
「なんで俺なんだよ…」
「始終一緒にいるのあんたじゃないか」
「そりゃ…」

遼の恋人は俺だもん。
そう言えたら、なんて楽か・・・

ふと黙り込んだ俺に、ルナは一瞬変な顔をして、俺を覗き込んできた。

「…もしかして、遼の恋人ってあんたかい?」
「…っ、な…!?」

突然の言葉に、俺は瞠目してルナを見た。
ルナはやっぱりという表情のまま、俺を見下ろしている。

「やっぱりそうなんだ」

自分の迂闊さに俺は頭を抱えた。
しかし、ルナから返ってきた言葉は俺が想像していたものを軽く超えていた。

「…まあ、かまやしないけどね。…この国じゃそんなに騒ぐことじゃないし」

そう言って、ルナは少しさびしげに笑う。
…そうなのか?
俺は真っ白になる思考を無理やりたたき起こし、ルナを見上げる。

「それなら全部に合点がいくよ。…そうか、邪魔だなあと思ってたら、あたしがお邪魔虫だったわけか…」

一人でそう呟いて、俺に視線を戻す。

「ごめんよ、あんたに悪いこと聞いちまってたね」
「…いや」
「でもさ、ならなんでそうはっきり言ってくれなかったんだい?」
「いえるかよ…!」
「そうかい?恋人なんだから堂々としてていいと思うけどね。こいつは俺んだ!って胸張ってさ」

にかっと笑い、俺の肩を叩いた。
傷の真上で、ついうめき声が漏れる。

「あ!悪い悪い!大丈夫かい?」
「あんま大丈夫じゃない…」
「そう言えれば大丈夫さ!」

つい漏れた笑みに、俺もつられて笑う。
本当に変なやつだな。


「じゃあさ、あんたが遼の恋人だってのを承知で、お願いがあるんだけど」
「なんだよ?」
「せめて、こっちにいる間だけ…遼のこと、好きでもいいかな?」
「えっ…?」

突拍子のないお願いに、俺はびっくりして目を丸くした。
ルナの瞳は真剣そのものだった。
俺は少し間をおいた後、小さくうなづいてやった。
そこは、俺が介入することじゃないと思ったからだ。

「本当かい!」
「ああ…でも、好きでいることをわざわざ制限するなんてことはできないと思ったからそう言うんだからな。
遼をやる、とか、そういうことじゃないからな!」
「わかってるよ!」
「…キス、とかもだめだぞ?」
「…あんた、結構嫉妬深いね?」
「うるせーな!」

「でも、今のほうがなんかとっつきやすくていいよ。ちょっと惚れちゃうかも」
「なんだよそれ」
「遼の次くらいに、かっこいいよっていってんの!」




急に、ルナが近い存在にかんじるようになっていた。
なんだか、少しお袋に似ているのかもしれない。










屍解仙との戦いで、ルナは兄の弔いのため、


…遼の前で散っていった。



最後まで、強い女だった。

その姿は、みんなの心に深く刻み込まれた。
もちろん、俺の心の中にも。







**********************************




頼られるのは嫌いじゃない。
前のように振舞ってくれるのも嬉しい。
だけど
我慢しているのは辛い。
いっそ奪ってしまえたら…




求天刹那 19





日本に戻ってきて、俺たちはまた、日常へと戻っていった。

毎週のように遼に会いに行くのは楽しかったし、愛しい時間であった。


…ただ、つい時間を忘れて、終電を逃すことが多くなってしまった。

はじめは諦めてナスティ邸に戻ったりしていたのだが、
遼が自分のせいだと悲しむ姿が見たくなくて、新宿のネットカフェで始発まで時間を潰すようになっていた。

…別に、学校なんて行ってもなにもしてないんだから、遼のところにいようかと思ったのだが、
遼が怒ったので、それはできなかった。

…まあ、早く帰ればいいんだけどさ。


流石に毎週ネットカフェは辛くなってきて。
…そこで、悩んだ末、ある人物を頼ることにしたのだ。








…突然当麻から泊めてくれコールがきたときには驚いた。
まさか、当麻が自ら僕を頼ってくれるとは思わなかったし。

だけど、困ってる風だったし、当麻からのお願いを断れるはずがなかった。




はじめは申し訳なさそうにしていた当麻だったが、
何度か来るうちにすっかり慣れて、いつの間にか毎週のように顔を出すようになっていた。






  TRRRR。

軽快な機械音が響いて、僕は溜息混じりに電話を取った。
電話の向こうは駅みたいで騒がしい。
今着いたところなのかな?

『もしもし、俺。いまから行くからよろしく!』
「…オレなんて知り合いいませんけど」
『つれない事言わないで!毛利様!』
「…馬鹿いってないで、早く来たら?」
『おーサーンキュ!』

受話器を置いて、鍋の中身を暖める。

しばらくすると、チャイムが軽やかに鳴った。
…きたよ。

「はいはい、どなた?」

わざとそう言って、扉を開けてやると、当麻はニコニコと笑って入ってきた。

「ただいまー!お、いいにおい!!今日はおでんか!」
「そ。随分寒くなってきたからね」


ご飯を食べて、風呂に入る。
リビングのソファにお気に入りの毛布を持ってきて、ベッド代わりにして眠る。

まるで我が家のような振る舞いに、呆れつつも嬉しかったりした。



「当麻…? なんだ寝ちゃったの?」

勉強を教えてもらっているうちに突然静かになった当麻に、笑みを漏らして僕はソファに当麻を横たえさせた。
毛布と、寒くなったからと用意した羽毛布団をかけてやると、もぞもぞとみじろいで、小さく溜息をついた。

「…可愛い顔しちゃって」




今だけは、僕のものだと思っても、いいよね。




そっと頬を撫でると、温もりが伝わってくる。

…ごめん。少しだけ。




ゆっくりと触れた唇は、柔らかく、甘い。



もっと欲しくなる。






…でも、駄目だ。

当麻にばれたら、きっともう来てくれない。
今越えてしまえば、もう二度とこの顔すら見られなくなってしまう。
この幸せを、永遠に失うのは、怖い。


一度犯した罪を、もう一度踏んでいるのはわかっている。
でも…忘れることなんてできない。


だからこそ、駄目だ。




押し倒してしまいたい衝動をぐっと抑えて、自分の身体を抱きしめた。






伸が出ていって、俺はゆっくりと目を開けた。
狸寝入りしてわけじゃない。
ただ、目が覚めてしまったのだ。
唇に、温かな感触がふれたときに。

…目を開くわけにはいかなかった。


伸は、たまに、俺が寝ている隙に、こうして、唇を奪う。
そして、苦しそうに部屋を出て行く。
それ以上なにかあるわけじゃないし、朝はいつもどおり振舞うのでなにも言えなかった。
わざわざぶりかえして、ややこしくなるのも嫌だった。




甘く疼く唇を押さえつけて、オレは布団を頭から被った。





…優しくしてくれるのが嬉しくて、つい慣れてしまって

…そのくせ、受け入れることも、拒むこともしなかった。




それが残酷なことだとわかっていても。








********************************************




平和になったとおもっていた俺たちの夏は
暑く激しく、
波乱を寄せる。

…暑すぎる夏がはじまる。




求天刹那 20




それは夏休みになって暫らくの、7月が終わりに向かおうかという頃だった。


「ねえ、当麻兄ちゃん。星のこと詳しかったよね」

突然電話してくるなり、純はそう言った。

「まあ、な」

星のことは、きっと仲間の誰よりも詳しい。
それは豪語できる。

しかし、それと純の関連性は見つからず、つい疑わしい返答になってしまった。



「あのね、当麻兄ちゃんに宿題手伝って欲しいんだよー」
「宿題って…純、俺は人に勉強を教えるのは」
「わかってるよ〜、当麻兄ちゃんが人に教えるの下手だってことくらい。教えて欲しいのは星のこと。
夏休みの宿題、星の観察にしようと思って」

なるほどな。
それなら俺に白羽の矢が刺さったのも納得できる。

「ね、当麻兄ちゃんは天空だもん、星のことならおまかせでしょ?」


そこまで言われれば、手伝わざるを得なかった。



7月は家族旅行があるらしいので、8月のはじめの数日間、俺は純のうちへ宿題の手伝いにいく約束をした。











8月のはじめに、予定が入った。

そう当麻から聞いたとき、俺は驚きを隠せなかった。

7月はいろいろ忙しくて会えなかったし、去年の夏はあんなことがあったから、
今年は山梨の家にきてもらおうかと考えていたのに。

でも、純の宿題のためなら仕方ない。


俺は少しスネながらも、笑って了解した。




せっかくだし、一旦帰って片付けしてこようかな。
で、当麻が帰ってくる日にあわせて、戻ってくればいいんだ。

うまくいけば、そのまま家に来られるかも。




夏休みは長いんだし。


そう考えて、俺は荷造りをはじめた。






その約束を取り付ける前にまた厄介ごとに巻き込まれてしまうことを
そのときの俺は知らなかった。












当麻がたまに伸のところに泊まりにいっているのを、知っていた。
でも、伸が当麻のことを諦めきれないように、俺も諦め切れていなかった。

悩んだ末、当麻が純のところにいくのを見計らって、以前から密かに計画していた
海にサーフィンしにいくという話を伸に持ちかけてみた。

『湘南の海…ねえ』
「そりゃ萩の海よりは劣るけどさ、夏だし!ボードも用意したんだぜ!あとは腕のいい先生だけなんだよ!」

電話の向こうで、伸の声は渋い。
だけど、俺は必死に食い下がった。

これで駄目なら、俺が伸の心に入り込む隙はゼロになってしまうような気がしたから。
…もともと無いようなもんなんだけどよ。

暫らくして、仕方ないなあ、と伸は笑って了解してくれた。


俺は嬉しさのあまり部屋でおおはしゃぎして、あとでかあちゃんにたっぷり怒られた。






******************************************************




そっけない、愛想の無い人だった。
いつからだろう。
振り向いて欲しいと思ったの。
初めてなんだ。
こんなに気になる人って。



求天刹那 21




純の宿題は、星の観察ということで、
俺は夕方から、純の家にやっかいになることになっていた。

純の家は一軒屋だと遼に聞いていたので、家の大きさはあまり気にしなかったのだが
妙に静かな様子に少し首をかしげた。

「なあ、純…お前の両親は?」

てっきり夏休みだからいると思って少し気構えていたのに。
俺の質問に何故か笑顔で、純はこう答えた。

「あのね、ママのおじいちゃんが倒れたとかでおとといから二人ともいないの」
「…は?お前は行かなくてよかったのか?」
「うん、今日当麻兄ちゃん来るって約束あったし、来週にはお姉ちゃんとこ行くことになってるし」

純の台詞に、俺はつい頭を抱えた。
なんでそんなあっけらかんと言えるんだ…

まあ、うちも同じようだったけど、でも、純のところの両親はいたって普通だったはずだ。
なんでこいつはこんなに自立してるんだろう…
少しは両親と一緒にいたいって思わないのかな?


ちょっと不安になりながら、俺は満面の笑みを浮べる純を見た。





純の部屋からは星が見えなかった。
都会の空は遠いと遼がよく言っていたが、確かに遠い。
しかも、うちみたいに高い位置に部屋があるわけじゃなく、
たかだか2階の窓からじゃ、良く見えなかった。
…更に追い討ちをかけるように、周りの家々が明るいせいで、
光が霞み、いつも俺が見上げる10分の1も確認することができなかった。

「こんなことなら俺んちでやればよかったな…」
望遠鏡を覗き込んで、俺は溜息をついた。
純も残念そうに空を見上げている。

「駄目?」
「こりゃ駄目だ。明日ちょっと早いけどナスティのところいこうぜ」
「うん…残念だね」

そういえば、遼はいま実家って言ってたっけ。
山梨の上のほうは、星が綺麗だろうな。
今度、遊びに行きたいってお願いしてみようか。
それより、早く会いたいって言おうか。
明日ナスティのところに行くんだし、あとで電話してみよう。

ぼんやりとそう考えていると、隣で純がくしゃみをした。

夏だといっても夜は少し冷える。
長いこと窓を開けていたせいか、肌は冷たくなっていた。

「僕、お風呂沸かしてくるね」
そう言って、純は階段を駆け下りていった。

後姿を見送って、俺はもう一度かすんだ空を見上げた。




当麻兄ちゃんと一緒にお風呂に入るのは、実は今回が初めてだった。
いつも、当麻兄ちゃんは一人で入りたがる。
それに、危ないからと言って、僕が入るときには大概お姉ちゃんか
兄弟がたくさんいるから慣れているという理由で秀兄ちゃんと一緒に入らされる。

僕、一人でも入れるのに。


だから、楽しみだったんだ。
当麻兄ちゃんと二人でお風呂。





「えーっ!一緒に入ろうよ!」
「だって、二人じゃ狭いだろ?」
「狭くなんて無いよ!ねえ、一人は寂しいよ!当麻兄ちゃん!!」

僕は子供の特権をフルにかざして、当麻兄ちゃんにしがみついた。

今回の真の目的はこれなんだもの!
…なんて言えないけど、絶対一緒に入りたい!

暫らく粘ると、諦めたのか、少し照れながら当麻兄ちゃんは一緒にお風呂場へついてきてくれた。




背の割に華奢な白肌が、僕の前に晒される。
緩やかに、しかりしっかりとついた筋肉は、つい撫でたくなるような綺麗な流線型を形どっていた。

「…どうやったら兄ちゃんみたいに背が高くなれるかなあ」

とってつけたようにそう言って、僕は兄ちゃんの背に手を回した。
当麻兄ちゃんの肌は仄かに冷たくて気持ちよかった。
僕の指が触れると、一瞬驚いたのかびくりと身体が震える。
その姿は、妙に色っぽくて、ついドキドキしてしまった。

「すぐ、大きくなるよ」

そう笑って、当麻兄ちゃんは僕の背を押して一緒に浴室へと入った。





「どうやったら兄ちゃんみたいに背が高くなれるかなあ」

純がくったくのない笑顔でそう聞いてくるのをほほえましく思いながら、浴室へと足を踏み入れた。
ナスティのところよりは幾分大きい浴室は、暖かい空気が満ちていた。

先に身体を洗うという純に進められて、かけ湯をしたあと、先に湯船に入った。
いつも熱いシャワーで済ます身体に、ぬるい温度の湯が気持ちいい。



「ねえ、当麻兄ちゃん、一つ聞いていい?」
「ん?」
「いつ頃毛生えた?」
「…は?」

突拍子のない質問に、俺は危うく風呂に溺れるところだった。
純は真顔で股間を見つめている。

「クラスのヒカルくんはね、もう生えてるんだって。僕まだ全然なんだよね」
「…へえ」
「僕遅いのかなあ…当麻兄ちゃんはいつだった?」

ああ、そういうことか。
純もそういうお年頃ってことなんだな。

確かに俺も、純くらいのとき、修学旅行とかでそういう話に参加させられたっけ。
…旅行の醍醐味だ!なんて騒いでた馬鹿がいたもんだけど。

…ここで、俺が話を逸らせば、純は傷つくかもしれんな。
そう思って、平静を装って考えた。


「俺は、小5のときだったかな」
「へ?」
「確かあれは、初めて夢精したのに気づいたときだったな。なんだこりゃ、と思ったら、足の付け根にこう…」

俺の告白に純は身を乗り出して聞いている。
やっぱり気になるモンなんだな。
でもこういうネタなら俺より秀とかのほうが強いと思うんだけど…。

純は真面目にうなづいたあと、俺に向き合った。

「じゃあ、僕のほうが男になったのは早いよ」
「え?」
「だって、僕夢精したのこのあいだだもん」

…そういうことか。
堂々とそういわれてもなあ…。
ちょっと頭痛を感じながら、俺はへえ、とだけ言った。

「純、風呂浸かるか?」
「うん、じゃあ交換こね」

俺は会話を変えるためにそう言って、湯船から出る。
純は肩まで湯につかって、溜息をつく。
俺も、純とは違う意味で溜息をついて、借りたタオルにボディソープをつける。

…そういうネタは慣れてないから、困るなあ。

タオルが泡立つのを眺めていると、純がまじまじと俺を見ている。
なんだか恥ずかしいな。

「僕も早く兄ちゃんのみたいに立派になりたいなあ」

その言葉に純の視線の先になにがあるのかがわかって、俺は慌ててタオルで前を隠した。
純は残念そうに溜息をつく。

「純!おまえなあ!!」
「だって、僕のと全然形違うじゃない」
「そんなのはひとそれぞれだっ」
「他の人のなんて見ないからわかんないもん!」

…まあ、言われてみればそうだけどさ。

遼のは俺よりすごいぞ、なんていったらどう思われるだろう。


純はざば、と湯船から立ち上がった。
年相応のそれがぷるん、と勃ちあがる。


「ねえ、当麻兄ちゃんの触っていい?」
「はぁ?」

また何を言い出すんだろう純は。

俺は汗をだらだら流して、純と自分のそれを交互に眺めた。
俺が黙っているのをOKの合図だと思ったのか、純は泡まみれのそこに手を伸ばす。
小さな手がそれを下から持ち上げる。

その爪が、先端を軽く掻いた。

「おい!純…っ」

いいかげんにしろ、と言おうと開いた口から、危うく愛嬌が漏れそうになって、俺は慌てて口を塞いだ。
純は驚いた顔で俺を見上げている。

「当麻兄ちゃん…気持ちいい?」

熱っぽくそう囁かれて、俺はついぶんぶんと首を振ってしまった。
純は、へぇ、と笑って、俺の手を掴む。

「…ねえ、僕のも、触って?」

そこに手を導かれ、躊躇いながらも握りこんだ。
掌にすっぽりと収まってしまう若い幹は、既に痛いほどに張り詰めていた。
上下に軽く擦り上げてやる。

「あ…っ」

気持ちよさそうに純が喘ぐ。
俺のものを握る指に力が入り、痛みが駆けた。

「んぅ・・・く」
「とぉまにいちゃぁ・・ん」

頭がもうろうとしてくる。
ただ、互いのそこを抜きあった。

先に果てたのは、純だった。
びくんと身体をのけぞらせて、俺の掌に精を放つ。

「ふ・あ・あ・・・」

満足そうにそう啼く。





「純…もう満足したろ?」

苦しいけれど、そう強がって、俺は無理やり笑った。
快感に火照った顔で、純は不思議そうに俺と、苦しそうに震えるそこを見る。

「当麻兄ちゃんまだイッてないじゃない」
「俺のことはいいからさ、ほら、はやくあったまれよ」

もういいから、ほっといてくれ。

心の中でそう怒鳴って、俺はひきつった笑みを浮べた。
純は腑に落ちなさそうな顔で湯船に浸かる。

純を先に浴室から出させると、俺は身体を流す振りをして、必死に声を押し殺し自身を抜いた。

「っ・・・ぅ・・・・・りょ・・ぉ・っ」

久しぶりの自慰は、少し空しかった。











当麻兄ちゃんがイケなかったのはきっと僕のテクが未熟だったからだ。
身体を拭きながら、僕はそう反省した。
今度は絶対、気持ちよくさせてあげよう。

それにしても、気持ちよかったなぁ。

…当麻兄ちゃんの指。
長くて、少しごつごつしてて…すごく気持ちよかった。


そう考えていたら、さっきの気持ちよさがぶり返してきて、
いつのまにか僕のそれは天井を指していた。

うわ。やばいよ。

僕は慌ててトイレに駆け込んでティッシュでそこを押さえたのだった。







*************************************************






戦いを強要される恐怖。
勧善懲悪の原理は、通用しない現実。
どうしてなんだろう。
僕は、一人だけ、取り残されてるみたいだ。
…戦いを拒否する心。




求天刹那 22




秀がサーフィンしたがってるとは知らなかったけど、
当麻も予定がありから家を空けても問題は無い。
それに勉強疲れしてる頭に休息を与えるのも必要かな。

そう考えたら、無性に海を見たくなって、僕は秀の提案にOKした。



湘南の海は萩のそこよりは確かに濁っていたが、
久しぶりの潮の香りに心は躍る。

波に揺られて、僕は楽しい時間を過ごしていた。




…気分をぶち壊しにする、ラジオの声が聞こえてくるまでは。










戦いは終わったはずだろ?
なのに、目の前には人並みはずれた力を持った男が鎧と対等に渡り合っている。

みんなが全力で向かい合う姿に、僕は違和感を感じて立ち尽くしていた。


どうしてあの男に刃を向けるの?
妖邪じゃないのに。
なんで戦わなきゃいけないんだ?

疑問に答えてくれるものはなく。
僕は戸惑いながらもみんなのもとに駆け寄った。



そう考えている間に、男は鎧に身を包んだ。





…真っ黒い、輝煌帝が、僕らの前に出現していた。







ありえないものの発動に、僕は驚き、慄いた。

  輝煌帝には、輝煌帝で。

当麻の言葉に呼応するように、遼の身体がまばゆく光る。





…僕の心に、迷いが走った。

それを証明するように、鎧は光を発さなかった。






−なんで、遼に力を貸さなきゃいけないんだ。


心の底で、何かがぶくりと泡立つ。





まるで、僕の心に呼応するように、天が黒く渦巻き、
輝煌帝の男は、遼と征士を連れて、去ってしまった。
















「なんで遼に力を貸さなかったんだ!」

秀の言葉が、僕に浴びせかけられる。
仕方ないじゃないか。貸したくなかったんだもの。

そんなこと、言える筈もない。

「僕は、もう嫌だ!戦うのなんてまっぴらごめんなんだよ!」

そう叫んでやったら、秀は顔を真っ赤にして怒る。


なんでわかんないんだよ。
どうして戦うんだよ。
どうして僕らが、こんなことしなきゃいけないんだ。
鎧なんて…!!


…不意に、当麻が静かに僕の前に歩み寄ってきた。
僕の心を見透かすように、ターコイズブルーの瞳が僕を射抜く。

…やめろ、見ないでくれ。
僕の、心の闇を、見るな…っ!

「…やめろぉっ!」

視線を振り払うようおもいっきり腕を振り回した。
拳が、当麻を殴りつける。

真っ白になった頭の中を渦巻くのは黒い心。

噴き上げる感情に任せて秀も殴りつけて、
気づけば僕はあてもなく駆け出していた。











湖のほとり、夕闇を眺めながら
僕は鎧と決別した。


このまま、なにもかも、無くなってしまえばいい。

無性にからっぽな心を抱えて、僕は、一人、空を見上げていた。










鎧の力は、身体に流れる血にまで染み込んでいるようだった。
捨てたはずの鎧。

それなのに、仲間が危険に晒されてるのを知らせるように胸が騒ぐ。

…どうしても、逃げられないのか。
それでも、一歩が踏み出せなくて、僕は頭を抱えてしゃがみこんだ。

ツキン!

感じなかった鋭い痛みが、僕の胸を走った。
…この痛みは!?
まさか、当麻が、危機に晒されているのか?



「…当麻、いま助けに…っ」


つい駆け出そうとして、僕は、自分の胸を押さえた。



くやしい
くやしい!

逃げても、逃げても。
君を求めている自分に、苛立ちすら感じる。


どうすればいい!!!





不意に、目の前に影が走る。

白いものが視界に入って、僕はゆっくりと頭を上げた。


「…白炎」

白炎は、静かに僕を見下ろしていた。


…強要するわけでも、拒否するわけでもない。
静かな瞳が、波立った僕の心を静めてくれる。



僕だけが感じた鎧の異変。
それは鎧に依存したみんなには感じなかったもの。
鎧以外に心を散らしてしまった、僕だから、感じたものなのかもしれない。

なんにしろ、鎧の意思は、僕らの心をと関係ないところで進んでしまっている。

慈しみ、癒す。
それが僕の、水滸の力だと信じてる。
鎧が必要とする、力ではない、僕自身が必要とする、心。

たとえ、痛みを伴うものでも、守りたい。



額が熱い。
力が、目覚める。


…当麻、いま、君に会いたい。

その気持ちが、僕を突き動かした。










鎧同士の戦いは、全てを無にかえすことで、終結した。
鎧は砕かれ、消える。


皮肉なもので、心が離れていたために生まれた力は
鎧とは関係ないものとして、僕の力になることになる。

浄化の力。


…僕は、わかっていた。

浄化するというのは、汚れを消すことではない。
そのものを綺麗にするかわりに、その汚れを吸い取ることなのだと。


…そう、僕の心の澱は、どんどんと増すばかりだった。





いつか、破裂してしまう。

その不安すら、穢れを増幅させる要因になっていた。










********************************************





危機から生まれたものだから、
いつか、消えてしまうのでは、と不安だった。
でも、手放せない。
大事なものだから。

ずっと考えていたことがある。
いままで言えなかったのは、
無意識に枷があったから。
でも、もういいよな。

一緒に、暮らそう。




求天刹那 23




鎧は完全に失われた。
俺たちは、鎧の呪縛から解放された。

もう、騒動で会うことも無いだろうという気持ちの中、
俺たちは、日本へ。そして、互いの在るべき生活の場へと帰っていった。



ナスティの家で一晩過ごして、俺たちはそれぞれ帰っていった。

はじめは征士が。
次に伸が。
そして秀と純が。


残ったのは俺と遼だけだった。



「みんな行ってしまうのね」

少し寂しそうにナスティはそう言った。

「また、遊びに来るよ。今度はちゃんと連絡して。鎧は無くなっても、俺たちは仲間だ」
「遼の言うとおりだ。…それに、俺はまだ読み終わってないものあるから、またすぐ来るよ」
「ありがとう、二人とも」

ナスティに手を振って、俺たちは歩き出した。




「…なあ、遼」
「ん?」

俺の問いかけに、遼はきょとんとした顔で振り返った。
その顔に、つい言葉が詰まってしまう。

「…なんだよ?」

訝しがる遼の声に、ちょっと一息置いて、俺は遼を追い越して振り返る。

「…あのさ、うちにこないか?」
「え?」

唐突な言葉に、遼は目を丸くして立ち止まった。
綺麗な青い目が大きく見開かれて、俺を見ている。

「だってさ、遼が山梨に戻っちゃったら、もう会う機会減っちゃいそうじゃないか…」
「当麻」
「それにさ…俺、もっといっぱい、遼と一緒にいたい」

うわ。なんだかすごく恥ずかしい。
俺は照れ隠しに頭を掻いて笑った。
遼は顔を真っ赤にして、いまだ驚き顔のままだ。

「…どうだろう?」
「…どうって、いいにきまってるじゃないか!こっちこそ、いいのか?」
「ああ、親父全然帰ってこないしさ。遼が嫌じゃなければ」

その言葉に顔をブンブンと振って、遼は俺に抱きついてきた。

「嫌なわけないだろ!すっごくうれしいよ!」
「よかった…そう言ってくれて。俺も嬉しい」






そうして、俺と遼は、大阪の俺の部屋に住むことになった。

親父には、居候ということで話をしたら、二つ返事で賛成してくれた。
…まあ、もともと家にいない人だから、俺が一人じゃなくなったことを純粋に喜んでくれたのだろう。


…基本的に、俺が食事を作るのだが、本当にたまに、遼が作るときがある。
遼の料理は殺人的なものがあったが、不思議なもので、今は結構食べられるものが食卓に並ぶ。

そのことを秀に話したら、
「愛は盲目…あばたもえくぼってな。お前だけが食えるんじゃねえの?」
と呆れていた。






…なんとなく言い出しにくくて、伸には俺たちが同居したことを言い出せなかった。

それでも時折ナスティの家に家捜しさせてもらっていたので
ちょこちょこ伸の家に厄介になっていた。

…そのことは、遼に言いそびれたままだった。



今更、どう切り出せばいいのかわからないまま、そのままにしてしまっていた。






****************************************






俺たちの生きてきた道。
それは、自分が選び、自身で切り開いた道だった。
…はずだった。

どうして見つけてしまったのだろう。
どうして呼び起こしてしまったのだろう。



求天刹那 24




「んー、ナスティのところの蔵書は底なしだな…っと」

奥に積み上げられた本を漁って、俺は嬉しい悲鳴を上げた。
ココといったら、博物館とかに納められていてもおかしくないような本が、無造作に積んであったりする。
いつ来ても、新しい発見があるのは嬉しい限りだ。

ふと、横に突っかかっている本が、無性に気になった。
こんな綺麗な洋装の本、見たこと無い。

「いよ・・・っと。うわ、わわっ!」

つい横着して、引っ張ったら、その横の山もろとも俺の上に降りかかってくる。
埃が盛大に書斎に舞う。

「う・わ…げほっ!…くそ、やっちまったぜ」
埃を払おうと持ち上げた手の下の本に、視線が止まった。

「…鎧武者五人衆?」

なんだか妙に気になる題名に、手にとってみた。
随分古い本のようだけど…

ぱらりとめくると、戯曲のようで、ト書きと台詞が羅列していた。

「…ふむ」

暫らく読んで、その内容に愕然とした。
俺たちの今までを見て書いたと言っても過言ではない程、
その内容はリアルに、これまでの戦いを事細かに描かれていた。

阿羅醐の出現、9つの鎧。
人間界にある5つの鎧。
5人の戦士。
白い輝煌帝。
…そして、黒い輝煌帝の出現。
鎧の反乱。

…5つの鎧が白と黒の輝煌帝を倒すところで話は終わっていた。


この不可思議な本に俺は瞠目し、頭を抱えてしまった。



なんなんだ。
どういうことだ。


とりあえず、これをみんなに見せなければ。
そう考えて俺は立ち上がった。

…その前に、部屋の掃除か?

本を机に載せて、俺は頭を掻いた。


机の上の本が、パラパラとめくれる。



…おかしい。窓は開いていない。風が吹いてくるはずないのに。
本は尚もパラパラとめくれ、あるページを開いて止まった。

…赤い髪の少女。
その子の写真が、そこに挟まっていた。

手を伸ばし取ろうとするが、指が触れる前にぼろりと崩れてしまった。
灰のようになったその写真は、埃と共に舞い上がり、
どす黒い煙雲のように渦巻き、天井に吸い込まれていった。

…嫌な予感がする。
俺は本を持って、ナスティ邸を出た。






おかしいな、いつもならそろそろ来る頃なのに。
僕は時計を見て首を傾げた。
当麻はナスティのところへ行くと、大概僕に連絡を入れてくる。
そして夜にうちに来る。
今日も昼過ぎに連絡があったから、もうそろそろだと思ってたのに
一向に来る気配は無い。
もしかして、なにかあって帰ったかな?
そう考えて、当麻のために多めに作ってしまった料理を冷蔵庫へとしまった。




苦しそうな当麻が、そこにいる。
反物に包まれ、拒絶をするように頭を抱え。
僕が呼んでいるのが聞こえないように、ただ呻き啼いていた。

当麻!どうしたっていうんだ!
当麻!

当麻!!!

「…っ、当麻!」

自分の叫び声に目を覚まし、僕はベッドから飛び起きた。
ああ、またあの夢だ。
当麻が来なかった日から、ずっと見続けている、あの夢。

…やっぱりみんなにも聞いたほうがいいのかな?

黒い輝煌帝の件以来、僕は当麻以外とあまり連絡は取っていなかった。
必要性がなかったのもあるが、変に連絡を取ってまた巻き込まれるのはごめんだと思ったからだ。
…いまの生活を、壊すのはどうしても避けたかった。

でも、この状況は既に壊されている可能性を秘めていた。


だれに連絡をとろう。
征士辺りが無難かなあ…

そんなことを考えながら、僕は電話を睨んだ。



  TRRRRRR。

目の前の電話が突然鳴って、僕は慌てて受話器を取った。

もしかしたら当麻かな。



「もしもし?」
『あ、伸か?俺だ』

…意外な人物からの電話に、僕は驚いて受話器を握り締めた。

「…遼?」
『ああ。…あのさ、当麻そっちに行ってないか?』
「…来てないよ?どうかした?」
『ずっと帰ってきてなくてさ…変な夢も見るから不安になってな』
「…夢」

遼の言葉にひっかかりを感じて、僕は言葉を反芻した。

『行ってないならいいんだ。もし来るようなことがあったら、俺に連絡するように言ってもらえるか?』
「うん、いいけど…」
『変なこと聞いてすまんな』
「…ちょっと待って、遼、夢って、もしかして、当麻が反物に囲まれて苦しんでるやつじゃない?」

僕の言葉に、電話越しに息を飲むのがわかった。
やっぱりそうなのか。

『ってことは、伸も…』
「うん、これは当麻からのSOSかもしれない。他の二人に連絡は?」
『…当麻が行ってないか、とだけ聞いたけど』
「じゃあ、もう一度、今度は夢の話を聞いてみよう。遼は秀に聞いてくれるかい?僕は征士に」
『わかった』

「あと、明日にでもどこかに集まるようにしよう」
『ああ、そうだな。どこがいいかな…ナスティはもう巻き込みたくないし』
「そうだね…じゃあ、前にみんなで行ったカフェはどう?僕の知り合いのあそこ」
『また借りて大丈夫なのか?』
「うん、また旅行行ってるから平気みたい。もともと副業みたいなもんらしいからいいんじゃないかな」
『そうなのか…じゃあ、連絡して明日会おう』
「うん、よろしく」

電話を切って、僕は征士に連絡を取った。
嫌な予感は一向に消えない。
…当麻、いま君はどこにいるんだ?






*****************************************





また巻き込まれるのか?
また戦うのか?

巡る歯車は、もう捨ててしまったと思っていたのに。
また、現れるのか
まだ、終わらないのか。

どうして、そっとしておいてくれない。




求天刹那 25





伸の母親の知り合いが経営しているというこのカフェは、
旅行好きの主人のせいでちょくちょく伸に貸し出されているという。

一度きたことがあるが、落ち着いた雰囲気のいいところだった。

…まさかこんなことで、使われることになろうとは
誰も思わなかったろう。





「で、いつからいないのだ」

私は遼にそう尋ねた。
以前、当麻のところへ居候させてもらっているのだという話を聞いていたためだ。

「…ちょうど一週間くらいまえ、かな。いつもみたいにナスティのところに行くっていって、それから帰ってきてない。
で、これが今朝届いたんだ」

そう言って、遼は鞄から小包を取り出した。

あて先は当麻から、当麻の部屋へとなっている。

「中に入っていたのは、昔の台本みたいなもので…」

…遼の小包のあて先を見て、伸が不思議そうな顔をしているのに気づいた。

もしかして、伸はまだ二人が同居していることをしらないのではないだろうか。
そう考えながら、私は秀を見た。
秀も困惑した顔で、伸と私を見た。

私は本を開く遼を見た。

私の視線に気づいたのか、遼は ああ、と伸を見た。



「伸には言ってなかったか?俺、いま当麻のところに住んでるんだよ」

伸は少し驚いた顔で、 「そうなんだ」 とだけ言った。

…妙な違和感に、私は嫌な胸騒ぎを感じた。
それがなにを意味するのか、わからなかったが。




戯曲の内容は、なんと俺たちのことだった。
しかも、随分昔に書かれたもんみたいなのに、ついこの前あった黒い輝煌帝のことまで書いてある。

どういうことなんだよ。
無性に苛立ちが募る。

「きっと、当麻はこれを見て、なにかに巻き込まれたんだね」

妙に落ち着いた伸の言葉に、俺は首を傾げた。

…さっきの掛け合いからして、伸は遼と当麻の同居のこと知らなかったみたいなのに。
…ショック、あんま受けてないみたいだな。
もしかすると、もう当麻のこと、諦め切れたのかな?

いや、いま問題にしなきゃいけないのはそこじゃない。
この手の中にある台本だ。

…伸のこと考えてる場合じゃない。


俺は頭を振って、本の内容を真剣に読み始めた。






***************************************






歪んだ歯車が廻りはじめる。軋んだ音を響かせて。
僕達が望んだわけじゃない。
それでも廻る、破滅の道を示すために。




求天刹那 26




当麻が消えて、仲間が集まったカフェ。
そこで、僕は遼が当麻と暮らしていることを聞いた。

一瞬苛立ちが募ったが、それより驚きのほうが強かった。

…遼と大阪にいる。それなのに、当麻は週末にうちにきてた?
変に期待をしてしまう事実に僕は驚きを押し殺した。

遼は知らないのだろう、当麻が週末僕のところに来ていることを。







その帰り、すずなぎという女に出会った。
異様な雰囲気を持つ女性の世界へ僕は引き込まれてしまった。
擬似鎧世界は吐き気がするほど僕に優しかった。



こいつは当麻の居所を知っている。
そう確信しながら僕は彼女に対峙した。

「…当麻はどこなんだ」
「こちらですわ」

意外にあっさりと彼女は僕を当麻のところへと案内した。
すずなぎのあとについてゆく。
いつのまにかそこは長い廊下になっていた。
たくさんの襖が並んでいる。
一つの部屋の前に立ち、僕を振り返った。

「こちらです」

パン、と小気味よい音を立てて襖が開かれる。
そこには青の着物を着た当麻が座っていた。
着物をゆるく肩に羽織り、その下にはなにも纏っていないようだった。
僕を見つめ、うっとりと笑みを浮べる。

「貴方様は私と同じ匂いがします。焦がれ焦がれて妖に手を染めようとする貴方様のお姿…」

肩ごしに囁かれ、肩を押される。
僕はゆっくりと当麻に近づいた。

「…当麻」
「しん…」

うつろう瞳で僕を見上げてくる当麻には生気がなく、すずなぎに操られているのだということがすぐにわかった。
…それでも。



「シン…抱いて?」

うっとりとそう囁かれて、僕は当麻の肩に手をかけた。

「これが貴方様の願い、貴方榊の望み。己のもにならぬなら、囲ぅておしまいなさい。その腕の中に閉じ込めて、逃げられぬように…」

すずなぎの言葉を遠くに聞きながら、僕は当麻を抱きしめた。





「ぁっ…く・ぅ…シンんっ」

嬉しそうに叫んで、当麻は伸のものをその身に受け入れる。
大胆に腰を振るう彼の目は正気を失った死んだ魚のような目だった。
とろりと笑い、僕のものをいっぱいに締め付ける。

「ぅうん…イイっ」

肩に爪を立て、大きく鳴いた。
熱い迸ばしりが僕の腹を濡らす。

「シン…もっとぉ…っ」

吐精の余韻に僕を締め付けながら、直も貪欲に腰を振るう当麻を、熱い体で受け止めて、僕は何故か冷えた心で眺めていた。

「…シン…?」

ふと、当麻が不思議そうに僕を見下ろした。

「…当麻」
「ん〜?」
「…愛してるよ」

頬を撫でそう言うと、一瞬びくりと悲しげな表情を浮かべて、当麻は僕を見た。
しかしすぐにうっとりと笑う。

「俺・も……愛・し…」

言葉がぎこちなくなり、眉間に皺を寄せる。


不意に、ぼろりと双眸から涙が落ちた。
貼付けたままの笑顔から涙がとめどなく落ちて、僕を見つめる。

きっと、操られた心と本能とが責めぎあっているのだろう。

「あ・愛し・て…」
「…もういいっ…ただ僕を感じろ…当麻っ」

苦しそうに言葉を紡ぐ人形のような当麻を抱きしめて、奥に穿つ欲望をたたきつけた。
「ひ・ぁあ・んうっ!!シン…っ」
「当麻…愛してる…っ・愛してる…っ」

当麻の身体を折れそうな程抱きしめて、幾度目か知れない精を最奥に注ぎ込んだ







******************************************





全てに終結を。
全てに決別を。

願う先には、結局
逃げられない現実。

死が、分かつまで
僕らはこの輪から、逃れられない。



求天刹那 27






苦しい

悲しい

痛い

暗い






俺は、どこにいるんだ?



本を投函して、煙の意識を追って、新宿まできて。

すずなぎとか言ったか。
あの女の結界の中に引き込まれて。



…それから、どうなった?
全然記憶がない。

身体が、灼けるように熱い。
身の奥深くを抉るような…まるで犯されているような痛みが
疼いて、俺を苛む。

なんなんだ。
どうなっているんだ。




「愛してる」

不意に誰かの声が鼓膜を震わせる。
良く知っているような気のするその声は
直接脳みそを震わせるように、大きく響いて、誰の声かわからない。
ただ判るのは、悲しいほどの渇望。
そして、悲哀。
胸の奥にじくりと沁みこむ。

痛い。
苦しい。

助けて。




気の遠くなるようなときを、闇で過ごしたようだ。

本当はほんの一瞬だったのかもしれないその時は、
一人の男の声で、俺を目覚めさせた。




「サムライトルーパーよ、心を一つとせい!」



ああ、遼の声だ。


凛としたその声が、眩い輝きと共に、世界を清めてゆく。




  ゴォオオオッ。

瞬間、ものすごい風圧が、俺の頬を掠める。

目を開くとそこは、ビルの上だった。
俺だけじゃない。
秀も、征士も、伸も。
見たことのない鎧を着てそこにいた。
地上に、遼とすずなぎの姿がある。

導いてくれるんだな。お前の仁の心が。
この、悲しい魂の答えの先へ。


俺たちは、輝きの先へと堕ちていった。












********************************************





駄々をこねればよかった。全部ぶちまければよかった。
側にいたい。渡したくない。

心の澱は、蝕んでゆく
僕の理性を。




求天刹那 28





すずなぎとの戦いのあと、僕等はまた日常へと戻っていった。




そして、なにもなかったかのように、当麻は僕の元を訪れる。

そのあまりにも無防備な姿は僕を苛立たせ、不埒な欲望を起き上がらせた。






僕はソファに座りテレビを見ている当麻の隣に座り、彼を見た。
ここまで近くにいても、当麻が僕を見ることはない。

「ねぇ当麻」
「んぁ?」
「すずなぎとの戦いのとき…」
「あぁ…悲しい人だったな」
「そうじゃなくて…捕まっていたときさ…」
「捕まって…?」

記憶を辿るように目を泳がせて、当麻は僕を見る。
困ったような笑顔はなんの意味か。


「あー悪い、俺さ、捕まって間の記憶、全く無いんだわ」


やっぱりと思いながら当麻を見る。
すずなぎに操られていたのだから、当たり前なのだろうが、
それでももしかしたらという気持ちはあった。

その希望まで奪われて、僕は心の底が冷たくなるのを感じる。
当麻は困った顔のまま目線を反らせた。

「すずなぎの鎧に入れられて、まっくらな中にいて…遼の呼び声が響いてきて、気付いたらビルの上だった」

そのときを思い出しているのか、視線は床のままでそう言う。


結局遼なのか。沸き上がる苛立ちに任せ、僕は当麻の肩に手を乗せた。




「己のものにならぬなら…」

すずなぎの声が、脳裏を掠める。







「そっか…当麻は覚えてないんだね」
「…伸は、覚えてるのか?」
「…うん。当麻、君ね…あの空間の中…すずなぎの座敷部屋で僕に…」
「すずなぎの…?」

つい、と肩に置いた手を腰に回すと、当麻の目の色が変わった。

「伸っ…こういうことは…」
「なんで?座敷では…君から僕を求めたのに」
「…なに?」

当麻は驚いた顔で僕を見ている。
…嘘は言ってない。

「君が、僕に、犯してっていったんだよ?」

ずいっと顔を近づけて、僕はあくまでにこやかにそう言った。
蒼ざめたまま睨む当麻の手を僕の肩に導く。

「ほら…僕に縋り付いて、何度も欲しいって腰をすりつけてきたじゃない。肩に爪を立ててきて…」
「やめろっ!」
「ああ、まだ痕がくっきり残ってる。触ってみる?」
「…や・だ…っ・・・・あ」

拒絶する指を確認さえるように背に回してやると、恐る恐る、指が肩を這う。

ミミズ腫れになったそこは服の上からでも触ればわかるだろう。


指に意識がいっている隙をついてソファに押し倒し、唇を奪う。
拒絶する舌を無理矢理に絡めて、舌を嬲る。
貪り、舐め、奪いつくす。
乱暴な水音が、部屋に響いて、嫌がおうに気持ちは昂ぶる。

「んっ…あ・や・・・・だぁっ!やめろ・・っ!」

当麻の爪が、僕の頬を掠める。
赤い血が、微かに舞った。

「僕に隙を見せたのは、君だ」
「…っ」

不意に、言葉をきつくすると、当麻は怯えた目で僕を見上げた。
ああ、なんて心地いい。
苛虐心を煽るその顔をゆっくりと撫で、僕は笑った。

「寝てるときにキスしてたの、気づいてたろ?それでも拒否しなかったよね…」
「あ…あれは…」
「なんだっていうの?」
「…っ」

ぶるりと身体を震わせて、当麻は視線を外す。

「なんだっていいけどね。君はもう、僕のものだ」
「…っ、そんなわけあるか!いいから離…せっ!!!」

「うるさいなあ…」




「・ぐ・・・・ぅっ」






暴れる当麻のみぞおちに、僕は拳を振り下ろした。

苦しそうに呻いて、当麻はぐったりと静かになった。



「…僕なんかを信じた、君の罪だよ…当麻」





ぐったりとソファに沈む当麻の髪を撫で、僕は小さく呟いた。








鎧によって人生を狂わされ、自らも妖に堕ちた女、すずなぎ。

彼女によって明るみに出た、鎧の真実。
おろかな欲と戦い、敗れ、去った魂。
鎧に選ばれ、一生を蝕まれた命。

その先にあるもの。



…僕らが行き着いたそこは、鎧戦士と、鎧に携わったものの
哀れな墓場だった。


生きる保障はくれないくせに
死に場所は用意されているのか。

つい、心の中で毒づいてしまう。




…鎧の存在を、うとましくさえ思う。






このとき、既に、僕の心は、既に真っ黒に染まっていたんだ。








***************************************




囚われの小鳥。
僕だけの小鳥。
そのツバサは、空を翔る必要はない。

僕の傍で、啼いておいで。
それ以外、なにもいらない。





求天刹那 29




当麻が、また行方不明になった。

そう言って、遼が伸の部屋を訪れた。





「先月、またナスティのところへ行って、そのままなんの連絡もないんだ!」
「またなのかい?当麻のことだから、蔵書に埋もれちゃってるのかもね」
「伸は心配じゃないのか!?」
「心配だけどさ…そんなに騒ぐことじゃないと思うよ?もう鎧とは完全に決別した。
鎧世界からの干渉の形跡もない。それに、今回は変な夢も見てない」
「…っ、それは、そうだけど…」

怒りに赤くなる遼とは対照的に、伸はにこやかに答える。
その姿に不信感すら抱かせる伸の笑顔に、遼は、あきらめて立ち上がった。

「…もし、当麻の居所がわかったら、すぐ連絡してくれよな」
「ああ、すぐにでも教えるよ」

そうして、遼は出て行った。






「…真っ先に僕を疑ったのは、合ってたのにねえ」

くすりと笑みを浮べて、伸は物置と化した姉の部屋を開けた。


ヴ・ヴヴヴヴヴ…
小さなモーター音が、部屋の奥から聞こえてきた。


「当麻、遼が来てたのわかった?」
「ん・んう…っ」

苦しそうに呻く当麻の口からギャグボールを外してやる。
当麻は2・3度えづいて、涙の滲んだ目で伸を睨みつけた。

手は後ろに縛られ、真っ白な肌には、幾重も伸に吸われた痕が赤く残っている。
残滓がべとべとと残る下肢にはコードが3本、埋められていた。
中から、小さくモーター音が響いている。

「少し暴れれば、遼は気づいてくれたかもしれないのに」
「…っ」

当麻の唾液で濡れたギャグボールを、見せ付けるように舐め、
伸は、なにかわかったかのように そうか、と笑った。

「気づいて欲しくなかった、のかな?」
「違うっ!」
「僕との生活が、快くなってきたんじゃないの?」
「違う違う違う…っ!」

不意に、当麻の動きが止まった。
内部で蠢くそれのモーター音が高く響いた。

中で擦れ合っているのか、時折カタカタとプラスチック同士がぶつかる音がする。


「キモチイイくせに」
「…っ・く・・・ああ・んっ」

嫌そうに眉間に皺を寄せるが、腰は、たまらずというようにくねりだす。
前は触ってもいないのにふるふると立ち上がってきていた。
この一週間、犯され続けてきた成果が、ここにある。
誇らしげにそれを愉悦の表情で見つめ、伸は、当麻の髪を掴んだ。

「ひ・あっぐ・・う・」
「一人で気持ちよくなってるなんて、ずるいよねえ?」
「ん・く…ぁあ」
「どうするのか、もう忘れちゃった?」
「ひ・ぐ…っ・・・」

髪を掴んだまま、伸は自身のズボンの前を緩めた。
そして、当麻の頭をそこに寄せる。
屈辱に震えながら、当麻は膝を折った。
秘孔に埋められたローターが、重力でかき混ぜられる。

「んぁ…あ…も・や…シン・っ」
「なに?」
「っ・・・ぅ…」

がくがくと震える身体をようやく支えて、当麻は目の前にある伸に唇を寄せた。
躊躇いながら口腔内に導き、竿を歯と舌を使って愛撫してゆく。
伸のそれは微かに反応を示すも、なかなか勃ち上がってくれない。

当麻は苦しそうに呻き、尚も奉仕を続ける。

「当麻、随分うまくなったねえ」
「んぅ…ふ・・・んむ…」
「でも駄目みたい。当麻の中じゃなきゃ、イケないみたい」
「んふ…む・・・ぁ・ふ…」

なかなか頭をもたげてくれない伸とは対照的に、当麻のそこは既に腹につきそうなほど勃ちあがっていた。
たまらげに腰を揺らし、肉棒を伸の足に摺り寄せ、中の玩具を締め付ける。
自身の手は後ろに縛られたままなので、それを触り抜くことすら叶わない。

「イキたい?」

伸の言葉に、当麻はがくがくと頭を縦に振った。

「じゃあ、尻を僕のほうに向けて。大きく足を開くんだ」


涙を滲ませ、当麻は尻を伸に向けた。
真っ赤に熟れたそこが、伸の目に晒される。
コードが穿たれたそこに、そのまま自身をあてがった。

「ま…って・中に、いや・だあ・ああああっ!!」

ローターが入ったまま、伸はゆっくりと挿入を開始した。
きつい内部に、ローターと、熱いものがいっぱいに押し込められる。
あまりの圧迫感に、当麻は歯をがちがち言わせ、衝撃を受け止める。

「ふ・ぎ・・・・ぃ…っんんんっ!」
「ああ、中で震えてキモチイイね?」
「ひ・ぁ…ぐぅ…っ!」

無造作に、伸の腰が動く。
前後に突かれ、円を描くように交ぜられる。
そのたび、最奥で、がちゃがちゃとローターが振動し、当麻を追い詰める。

「…もう、駄目?」
「あ・…ぁっ!ふ・う…うううぅっ」

声にならずに、当麻は狂ったように頭を縦に振る。
伸は嬉しそうに笑い、当麻から生えているコードを掴んだ。




「ひ・ぎゃ・あ・あああああぁぁっ!!!」




動いたままのそれを、おもいっきり引き抜く。
ずるりと、ローターが3つ、当麻の中から吐き出された。
当麻は獣のようにひときわ高く啼くと、がくがくと身を振るわせ、先端から精を迸らせる。
そのまま、身体をひきつらせて、倒れこんだ。



「なんだ、もうイッちゃったの?」


びくびくと身を震わせたまま失神した当麻に、伸は笑って、未だ欲望を吐き出すそこを握りこんだ。
生温かい液体を掬い取って、憔悴しきった当麻の顔に塗りたくる。


「まだだ。逃がさないよ。当麻…永遠に僕のものだからね」

力ない身体を抱き上げて、意識のない当麻を揺すぶって。
伸はその中に、熱い猛りを注ぎ込んだ。




************************************





籠の中の小鳥
何時出らるかと希望を持てるか

籠の中の小鳥
何時までもと諦めるか


闇の中、どこまでも堕ちてゆく。





求天刹那 30








幾日ここにいたろうか。

マンションの一室とは思えない程薄暗いこの部屋で、裸のままいることにも慣れてしまった。
後ろに拘束されていた手も、外してもらった。
代わりに、犬のような鎖で繋がれてしまったけど。

トイレも、ちゃんといける。
食事も朝晩だけだけど、ちゃんとくれる。
夜も、俺が無茶しなきゃ優しくしてくれるし、風呂だって入れてくれる。
あたたかなベッドもある。

首輪が時折擦れて痛いけど。



伸は、すごく優しく、俺を愛してくれた。







…だけど、駄目なんだ。

「ここには…ないんだよ」



悲しく呟いて、当麻は涙を零した。








伸が帰ってくると、当麻はベッドに横になっていた。

「当麻、ただいま」

そっと囁いて、ベッドサイドに座り、伸は当麻の髪を撫でた。
ふと、当麻の目から零れる涙に瞠目する。

「どうしたの?どこか痛い?」
「…」

なにも言わず、当麻は涙を零し続けた。

「…当麻」

横たえた裸の身体を、上からそっと抱きしめる。
当麻は、ゆるゆると頭を上げ、伸を見た。
…濁った、ビー球のような目が、伸を見つめる。

「…当麻?」

声を掛けると、当麻は顔をくしゃくしゃにして泣いた。

「…たいよ」
「え?」
「会いたい…りょお・・・っ」

ぼろぼろと涙を零す当麻を、伸は息を飲んで見下ろした。





突然、当麻の身体がベッドに叩きつけられる。
肩を思い切り圧迫されて、当麻は痛みに呻いた。

「っ・ぐぅ…」
「まだそんなこと考えるの?」
「し・ん…っ」
「君は僕のものだって、何度言えばわかるんだよ!」

伸の目は、まるで嵐の海のように、どす黒く光り、当麻を蔑む。

前戯もなく、伸の性器が当麻の秘孔に宛がわれた。
幾度受け入れたそこも、重厚な存在が触れて、戦慄く。

「い・や…あぁあああっ!」

当麻は恐怖に叫んだ。
突然の挿入に、身体中が痛みを訴える。
潤いのないそこは、摩擦激しく当麻を引き裂いた。
ギチギチと音がしそうな程締め付けるそこに、構わず腰を打ちつけた。

「ギ…ぅっ・・・・あ・あ・シン・っ」
「遼のことなんて忘れろ!僕のことだけ感じてればいいんだ!」

自身を高めるだけの動きに、当麻の身体はガクガクと揺さぶられる。
涙と唾液で、当麻はぐちゃぐちゃになりながら、喉から溢れる叫びを零す。


伸の猛りを最奥に感じて、悲しげに身体を震わす。

「んんん…っ・ふぁ・・・あ・」
「当麻…当麻・ぁ…っ」

身体が折れそうなほど抱きしめられて、当麻はその肩に額を乗せた。
伸は夢中で当麻の首筋を吸い上げる。

「当麻…愛してる…愛してる…」

恐怖に萎縮する当麻のものを、優しく右手で擦り上げ、射精を促すように刺激を与える。
優しく嬲られれば、当麻のそれも少しづつ勃ちあがりはじめる。

「ぁ…ふ…っ・・・」
「当麻…きもちいい?」
「んっ・・・あ・はぁ」
「当麻…一緒に・イコ?」
「んあぅ…くは…あぁ…」

手のリズムに合わせて、腰を揺らす。
中で出されたものが、こぷりと溢れ、下肢を濡らした。
滑りよくなったそれは、奥を突き上げ、快楽を引き出してゆく。

「ん・あぁ…」
「僕のものだ…渡さない…」

「ひ・く ぁ…あ…っ」


最奥まで深々と貫かれ、当麻は意識を失った。



ぐったりとする当麻をしっかりと抱きしめて、伸は涙を零した。

「当麻…っ・当麻あぁ…」

幾度となく名を呼び、悲しげに目を伏せる。

こんなこと、続くはずもない。






わかっていても、当麻を手放すことなどできなかった。






********************************






諦めかけてた。
救いの手。
連れ出してくれたのは、
彼を一番信じたかった人。




求天刹那 31






伸の所有印が残る身体を撫で、当麻は悲しげに溜息をついた。

嫌だとわめいても、伸のそれに感じてしまう。
遼を探しても、伸の腕に抱かれれば、疼き求める自分がいた。

慣らされた身体。


もう、戻れないのか。




「今日は遅くなりそうなんだ、ご飯ここに置いておくから、夜食べるんだよ?
先に食べちゃってあとでお腹すいても知らないからね?」

優しくそう笑って、伸は出て行った。



首輪を外そうと努力する気にもなれない。

シーツに包まって、当麻は目を閉じた。








かたん。



不意に玄関が開く気配がした。
まだ伸が出て行って幾時間も経っていない。

忘れ物?

それにしては随分足音が重たい。

シーツを強く握って、侵入者に備える。


  ギシ・ギシ…


床の鳴る音は当麻のいる部屋の前で止まった。




  ガチャ。


部屋にはだれもいなかった。
むっとする雄の匂いに目を細め、侵入者は部屋を見回した。

「…当麻?」

聞いたことのある声に、当麻はぴくりと耳をそばだたせた。

「当麻?いるのか?俺だ、出て来いよ」
「…秀?」

当麻はそっとベッドの下から這い出した。
見慣れた顔が悲しげに歪んで、当麻を見つめていた。

「やっぱり…ここにいたんだな」
「しゅう・・・っ」

ぼろぼろと涙を零す当麻の肩を抱き、秀は優しく支える。

「助けに来るの遅れてごめんな…何度か伸に探りいれてたんだが…どっかで信じてたかったんだ…
今日あいつ遅くなるって知って…」

言いかけて、当麻の首に巻かれた首輪を見て、息を飲んだ。

「…伸のやろう、ここまで堕ちてたとは思わなかったぜ」

ベッドサイドに打ち付けられた鎖を掴み、当麻に目配せした。

「金剛の秀様にまかせとけ」

にこやかにそう言って、まるで糸を切るように鎖を引きちぎった。

「…すげえ」
「空を飛べる奴に驚かれたくねえよ、っと」
「う・わっ」

当麻をシーツごと抱え上げ、秀は部屋を出た。
まるで風のように下に止めてあった車へと飛び乗る。

運転手は、秀の店で確かコックをしていた人だ。何度か会った事がある。


「出してくれ」
「おう」

車はゆっくりと滑り出した。

「…とりあえず、俺のうちでいいか?それとも、まっすぐ遼のとこへ連れてくか?」
「…遼には、会えないよ」
「そりゃそうだよな。俺んとこで身なりを整えて、腹ごなししてからだな」
「…違うっ」

秀の腕の中で、当麻は悲しげに俯いた。
ぽろぽろと雫が、頬を伝い零れ落ちる。

「当麻… …とりあえず、俺の家だ。急いでくれ」
「あ、ああ」

運転手にそう言って、秀は当麻をぎゅっと抱きしめた。






秀の家に着くと、そのまま風呂場へと投げ込まれた。
弟のものだというシャツは少し大きかったが、身に纏える温かさに涙が出そうになった。
秀の部屋で、首や腕についた擦り傷を手当てしてもらって、当麻はようやく一息ついた。

「で、なにが違うんだよ」

秀は、そっと当麻の目を見ながら、そう言った。
当麻は目を逸らせて俯く。

「なんで遼に会えないんだ。伸がお前を…ああいう目にあわせたのはそれが原因か?」
「違う」
「じゃあ、遼に会えよ!あいつこの一ヶ月、ずっとお前のこと探し回ってたんだぞ?」
「…一ヶ月」

そんなに経っていたのかと、当麻は瞠目した。
そんな当麻を秀は見つめる。


「当麻」
「だって…」

言いかけて、当麻は身体をこわばらせた。
秀は隣に座って、肩を支える。
そんな秀を見上げて、当麻は涙を零した。


「…俺、」
「…うん?」
「おれ…っ・・・伸にされて…感じたんだ。嫌だって思ってるのに、何度も何度も…いれられて、何度もイッた。
…遼じゃなくても、感じちゃうんだ…俺…そんなやつなんだ…っ」

涙をぼろぼろと零し、泣きじゃくる当麻に、秀は困ったように目を歪ませて、当麻をぎゅっと抱きしめた。

「お、まえなあっ」
「しゅ・・う・・・っ・い…痛いっ」
「そんなこと、遼に直接言え!会って全部話せ!そんなことで捨てるようなら、俺たちの仁じゃネエ…っ!」

吐き捨てるようにそう言って、当麻の涙をそっと拭う。

「そんなこと、お前が一番知ってることだろ?」
「だからだよ…」
「なに?」
「遼はきっと許すよ…でも、俺は自分が許せない」
「お前はなぁ…」

困ったように頭を掻いて、秀は当麻の頭もぐしゃぐしゃと掻き混ぜた。

「もう、今日は寝てろ!疲れてるんだよ…」
「…ん…」

部屋に布団を敷いて、当麻を寝かせる。
そして、秀はそっと部屋を出た。





「あ、もしもし。俺だ。…うん、見つかった。いま俺んとこ来て寝てるから…。俺今から出かけなきゃいけねえからさ。
うちのやつには言っとくから勝手に入ってくれ。 ……ああ。 ただ…いっぱい痛い思いしたとおもうんだ。だから、
とりあえず安静。しっかり話、聞いてやれよ?…俺から言えるのはそれだけ。じゃ、あとで」

電話を切って、秀は振り返った。
妹の鈴恵が、不安そうな顔で秀を見上げていた。

「…大兄ちゃん」
「鈴恵…俺ちょっと行って来るからさ、遼来たら俺の部屋に上がってもらってな」
「うん…」
「大丈夫だって。俺たちは、 …仲間 なんだから…」


鈴恵にそう言って、秀は笑った。



そして、荷物も持たずに、秀は一人出て行った。







**********************************************:






向かうもの。
待つもの。

問うもの。
諭すもの。

愛してるから故に。




求天刹那 32






当麻が見つかったら、連絡をくれ。
そう仲間に伝え、自分も探し回ったが、この一ヶ月、当麻の行方はようとして知れなかった。

俺は、一人部屋で当麻の帰りを待っていた。


TRRRRR.

電話が鳴って、俺は幾度目かの期待をこめて受話器を持った。

「…もしもし」
『あ、もしもし。俺だ』
「秀…」

…もしかして。

「…当麻のことか?」
『…うん、見つかった』
「本当か!?」

当麻が見つかった!?
俺は飛び上がって受話器を握り締めた。

「どこにいたんだ!ああ、い・いまどこに!?」
『いま俺んとこ来て寝てるから…。俺今から出かけなきゃいけねえからさ。うちのやつには言っとくから勝手に入ってくれ』

秀のところに、当麻がいる…!

「当麻は、大丈夫なのか?」
『……ああ。ただ、いっぱい痛い思いしたとおもうんだ。だから、とりあえず安静』
「…痛い思い?」
『…しっかり、話聞いてやれよ?俺から言えるのはそれだけ。じゃ、あとで』
「あ、ああ。サンキュ!」

きになる言い方だったけど。
とりあえず電話を切って、俺は横浜へ向かうために部屋を飛び出した。










どうして横浜にいるんだ?

ナスティのところに行ったなら、神奈川にいるのはおかしくはないのだろうが。
…この一ヶ月、なにがあったんだ。

飛び乗るように乗車した新幹線の中で、俺は一人、考えをめぐらせていた。


『しっかり、話きいてやれよ?』

秀の言葉が胸にリフレインする。



そうだ。当麻の口から、きちんと説明してもらおう。
俺が信じるのは、当麻の言葉。
それ以外になにがあるっていうんだ。

自分に言い聞かせるようにそう考えて、俺は窓の外を見上げた。










遼に電話をして、俺はまた伸のマンションに来ていた。

まだ夕方。
伸が帰ってくるには時間がある。



部屋にもぐりこんで、伸の帰りを待った。





…きっちりさせないといけないよな。



…もしかして伸が当麻を。
そう考えたとき、ぞくりと背中に悪寒が走った。
思い出したのは、あの真っ暗な嵐のような伸の瞳。

そうだ。伸は一度、思いつめて行動に出たほど、当麻のことを本気だったじゃないか。

万一のことが、ないなんてだれが言い切れる?


でも、もしそれを本当にしたとしたら。





…実際、本当にやってしまったのだけど。






…俺は、伸に対してそこまでできない。

それは、理性がどうとか、そういう問題じゃなく
そこまで相手を求められるか。そういうことだと思う。

俺の伸への思いは、そこまで真剣なものだったろうか。
…いや、子供だましの擬似恋愛のようなものだったのかもしれない。
義にごまかして、そこまで踏み込めない自分を正当化してたんだろう。


伸は、自分の気持ちを抑えて、押さえて。
それでも求めて。

…壊れてしまったのかもしれない。


…だからって、欲しいからって閉じ込めてしまうのは、妖邪と一緒だ。

教えてやんなきゃいけないと思う。
仲間として。そして、稚拙でも、彼を愛しているものとして。


…もう、遅いのかもしれないけど。



窓の外では、闇がじわりと空を覆い隠し始めていた。







*************************************




不安も、
迷いも、
苛立ちも、
焦りも、
戸惑いも。

君がここにいれば、全部、消し飛ぶ。




求天刹那 33






秀の店に着いたのは、夕方、暗くなり始めたときだった。

店は臨時休業になっていた。



俺は裏口の扉を叩いた。


「はい、誰…ああ、遼さん」

秀の弟のユンくんが、俺を見てほっとした顔をした。

「こんばんわ」
「あ!遼ちゃんだ!」
「遼ちゃーん!」

秀の妹の双子が俺に気づいて、嬉しそうに飛びついてくる。
その後ろで、一番上の妹のリンフィちゃんが、不安そうな顔のまま笑いかけた。

「お店、休みなんだ」
「うん…父ちゃんと母ちゃん、じっちゃんとこの用事とかで出かけてて、大兄ちゃんまだ帰ってこないから…」
「そうか…どこ行ったか聞いてる?」

俺の質問にリンフィちゃんは小さく首を振った。
そして、じっと俺を見上げる。

「当麻さん、上の、大兄ちゃんの部屋にいます…わかりますよね」
「うん…ありがとう」

ないか言いたげなリンファちゃんに、無理やり笑顔を作って、俺は幾度か訪れたことのある秀の部屋へと向かった。




当麻は、畳に敷いた布団の上で眠っていた。
首に巻かれた包帯が痛々しい。

「…なんだよ、これ」

憔悴気味の当麻の頬に手を寄せると、仄かに熱を持っていた。

「当麻…」

そういえば、前にもこんなことあったよな。
なんで、当麻ばかりこんな目にあう?
まさか、また伸が関係してるとでもいうのか。

まさかと思いながらも、不安は消えない。


ふ、と。

当麻の瞼がぴくりと痙攣した。
ゆっくり、瞳が開く。

うつろなまま、当麻の目が部屋を巡る。
俺の顔を見て、悲しそうに瞳が揺れた。

「…伸」

…紡がれた言葉に、俺は息を飲んだ。
当麻は、両手を目の前で交差させて、苦しそうに唸った。

「…ぅ・・・伸・・・っも、やだ…、りょおに、会いたい…っ」

涙をボロボロと零して、当麻はそう呟いた。

「…当麻、俺だよ?」
「……?」

声をかけると、当麻は交差していた腕の間で、目をぱちりと一回瞬いた。

そしてゆっくりと俺の顔を見上げる。
光の戻った瞳は、俺を確認するように震えて、また歪んだ。

「…りょぉ…?」
「とうま…」

「りょお…っ!りょおおおおっ!!!」


壊れたように俺の名を呼んで、当麻は縋りつくように胸に飛び込んできた。
俺も、当麻の頭をぎゅっと抱きしめて、髪に鼻を埋めた。
ずっと、待ち焦がれた、当麻の匂いだ。
涙が、溢れて止まらなかった。
ぎゅうぎゅうと俺の胸に顔を埋めて、当麻も泣き続けていた。


さっきまでゴチャゴチャ考えていたことは、全て消し飛んだ。
ここに、当麻がいる。それだけで、もうなにも必要なかった。




ようやく落ち着いて、俺は遼に向き合った。
たまに伸の家に泊まりにいっていたこと、
すずなぎに出会ったあとから伸の様子がおかしかったこと。
そして、…閉じ込められて、いろいろされたこと。
全部、遼に話した。
そして、俺は、遼の顔を見つめた。

「…遼、ごめん」
「謝るなよ。当麻が謝ることじゃないだろ?」
「だって、もとはといえば、俺の軽はずみな行動のせいだ。それに…」
「それに?」

言いたくない。
でも、言わないと、後悔する。
それに、俺は、もう遼のそばにいられない。


「…俺、伸にされて…無理やりだったけど、感じたんだ。俺も欲しいって…舐められて、入れられて。
奥突かれて、気持ちよくって…よがって泣いて…お願いした…っ」

苦しくて、泣きたくないのに涙がこぼれてくる。

「遼じゃないのに…俺…感じちゃ・・・っ」
「当麻…」

遼は、俺の唇に指を当てて、そっと目を見つめた。
藍色の瞳が、俺を映す。
そして、悲しそうに額を擦り付けてきた。

「…感じるとこ触られればさ、そりゃ仕方ないだろ?俺だって、絶対感じないとは言い切れない。多分・・・
でもさ、俺としてるときと、伸にされてるとき、一緒だった?」
「違う!全然…っ!!!遼のほうが…っ」

遼のほうが。
熱くて、とろけそうで、胸がきゅうきゅう締め付けられて。気持ちよかった。

思い出して、俺は頬が熱くなるのを感じた。
遼も、俺の様子に気づいてか、ふ、と笑みを浮べて俺の顔を撫でる。

「俺のほうが、なに?」
「…っ」
「当麻…」

ゆっくりと、遼の唇が、俺に触れた。
暖かい口付け。
ずっと、待ち望んでいたぬくもり。
遼の髪に指を絡めて、ぎゅうっと抱きしめる。

服のすそに、遼の手を感じた。
俺は、とっさにその手を掴んで、引き剥がす。

「当麻?」

遼は訝しげな声を上げるが、どうしても駄目だった。
伸の痕がまだ残ってるのに、遼には見せられない。

「当麻」

もう一度、今度優しく問いかけてくる。

「…だって」
「全部見せて。俺が、消してやるから」

優しく囁かれて、俺は裾から手を離した。

遼は、ありがとうというようにキスをして、シャツを取り去った。
そこここに散らされた鬱血は、ところどころ青くあざのようになっていた。
遼は、一瞬躊躇ったあと、唇を、傷の上に乗せた。
舌で、柔らかく撫でてゆく。
くすぐったさと、温かさで、そこからじわりと熱が上がってくる。
舌が滑るたび、俺の息は上がってゆく。

「・・・ぅふ・っ」
「痛い…?」
「ん…へいき・・・っ」

壊れ物を扱うように、指と舌で、遼は俺の身体を清めてゆく。
興奮とは違う、優しい気持ちが胸を融かす。




幾度となく乱暴に扱われた奥の入り口は、腫れているのかずっと熱を持っていた。

下肢に伸ばされた遼の指が、そこを撫でる。
ぞわり。
俺は突然起こった不快感に身を総毛だたせた。

「りょお…っ!」

俺は、遼の肩を押して、首を振った。
遼の手なのに、怖い。

「当麻?」
「ごめん…っ・駄目…」

気持ちは熱く遼を求めているのに、
身体が震える。
涙が、意思と反して零れ落ちた。

「…当麻…ごめん」

そっと、抱きしめて、遼は俺の背を撫でてくれた。

遼は謝ることしてないのに。
俺が、おかしくなっちゃっただけなのに。

俺は、なにも言えずに、遼にすがりついた。
背を撫でる遼の手の暖かさに、涙は止まらず、零れ続けていた。








*********************************************




どうしても、欲しかった。
どうしても、離したくなかった。

愚かで、かまわなかった。
闇に、飲まれても、手に入るなら。




求天刹那 34






家に着いたのは、9時を過ぎた頃だった。
もしかすると、当麻早くにご飯食べちゃって、お腹すかせてるかも。
そう考えながら、鍵をまわす。

…扉には鍵がかかっていなかった。


「…当麻?」

そっと空けて、部屋の電気をつけた。
見慣れぬ靴が、玄関に置いてある。


慌てて、当麻のいるはずの部屋へと駆け、電気をつけた。


「よぉ、犯罪者」
「…秀」

秀は、当麻のいたはずのベッドに座って、嫌そうに笑っていた。
足元に、引きちぎられた鎖が見える。

「当麻なら、いないぜ?」

一瞬、なにを言われたのかわからず、部屋を見回す。


当麻が いない。





とっさに部屋を飛び出し、玄関に向かう。
玄関を出るかの瀬戸際で、秀に腕を囚われた。

「離せ!」
「当麻はお前のモノじゃねえんだ!なんでわかんねえんだよ!」
「嫌だ!当麻!当麻…っ!!!!」

ふりほどこうともがいた腕を身体ごと廊下の床に押さえつけられる。

苦しい!痛い!

不意に、秀の唇が、僕の唇を塞いだ。



ふざけたことをっ!!
おもいっきり唇を噛み千切ってやる。

「…ってえ」

血の味が、口の中に広がる。
唇を押さえて、秀は僕にらみつけた。
指の間から、血が見えた。

「ふざけるな! 当麻をどこにやったあぁっ!?」

唾ごと血を吐き出して、僕も秀をにらみつけた。
僕の当麻!それを…っ

「…どうして俺じゃいけないんだよ」

秀は、冷たい目をして、僕の服に手をかける。
ぐっと力が篭ったと思った次の瞬間。

  ビリイイイィッ。

服だったそれは、大きな音を立てて布切れに変わった。
肌に、冷たい空気が触れて、全身が総毛だつ。

「…っ、イヤ・だあっ!やめろ!!シュウ!!!!」

力いっぱいもがくが、片手でやすやすと押さえ込まれ、逃げることも叶わない。

なんで邪魔するんだ!なんでこんなことするんだ!
黒いものが、胸に渦巻いて、怒りに血が滾る。




ジャマスルヤツハ シネバイイ。




  ブチィ。


なにかが、頭の奥で切れた音がした。












伸の身体が、俺の腕の中にある。
俺は湧き上がる征服欲のままに、伸の胸に顔を埋めた。



と、もがいていた伸の身体から、不意に力が抜けた。

なにかが頬を掠めてゆく。
すぐあとに、ちりっと痛みが走り、俺はそこに指を当てた。

…血?

真っ赤な鮮血が、ぽたりと零れ、伸の胸に落ちた。



「…なんだ?」

ふと、伸の髪が濡れていることに気づいた。
涙にしては、量がおおい…?
見ると、床を透明な水が伝っていた。
どこからこんなものが。

「…離せっていってるんだ、シュウ」

静かな声で、そう言う。
伸の目が、青白く光っていた。

「…なっ」

恐ろしいほど静かなこの口調に、俺は手を床に着いた。

  じゃぷ。

透明な水が。床一面に侵食していた。

水かさは少しづつ、しかし確実に増してゆく。




「…し・伸っ」

「…当麻は、どこなんだ」



冷たい口調。




いつのまにか俺の下から這い出て、伸はゆらりと立ち上がった。

「どこなんだって、聞いてるんだ!」

不意に、足元の水が舞い上がる。
それは水の粒になって、伸の周りに浮いていた。

呆然と見上げる俺に、それは降り注いだ。
とっさによけるが、するどく繰り出された水が、わき腹に当たる。
服を裂いて、肉を削いだ。

噴出した鮮血は、水に溶けて、一面を赤に染めてゆく。


「…っ・ぐうっ」

痛みに漏れる声。
唸る俺を伸は見下ろすだけだった。




水の力。
それは水滸の力。

…鎧を持たない彼が、何故。




「…シンっ・おまえ、なにしてるのかわかってるのか!?」
「うるさい うるさい うるさい!!!当麻をどこにやったんだ!」

伸は耳を塞いで、一歩下がる。
水がうねり、秀に襲い掛かる。

その姿は、まるで黒い輝煌帝に操られたムカラのようだった。



「当麻はお前のじゃねえんだよ!なんでわかんないんだよ伸!」
「わかんないよ!なんで僕じゃ駄目なんだよ!こんなに、こんなに愛してるのに!!!」

叫んで、伸は涙を零した。
その雫すら、鋭く肉を抉り、血を撒き散らす。

「当麻が欲しかったんだ!なんで遼なんかを選ぶんだ!僕がそばにいるのに!!…なんで遼ばっかり見るんだよぉ!!!」

伸の言葉に呼応するように水勢は強く、俺に降り注ぐ。
頬を、肩を、腕を、足を、わき腹を。

鋭い水の弾丸が俺の身体を貫く。







  がくん。




不意に、伸の身体が揺らいだ。
まるでスローモ−ションのように、伸の身体は床へと倒れる。


伸が倒れると同時に、水の勢いも止まった。





「…伸?」


痛む身体を引きずって、伸のもとへと這っていった。

いつのまにか、床を覆っていた水はあとかたもなく消え去り、床にも壁にも、濡れた痕は一切なかった。
ただ、俺と伸の身体は、ぐしょぬれのまま。
俺の身体に残るの傷からは鮮血が止まることなく滲み出ていた。


「伸…っ・おい・・・伸っ!?」


身体を揺さぶるが、伸は何も言わず、ぐったりと身を預けていた。




閉じられた目からは、水とも涙ともつかないものが、ぱたぱたと零れて、床にしみを作っていた。







****************************************




鎧の力は、妖の力。
正しく使えば正義の道を
心歪んで使えば妖邪の道を
指し示す、諸刃の刃。

わかっていたはずだった。

…なのに。





求天刹那 35





秀が帰ってきたのは、夜遅くになっていた。
身体中包帯を巻いた彼の姿に、迎えに出た俺たちは驚いて目を見開いた。

「大兄ちゃん!?」
「どうしたの!?平気?」

「ああ、大丈夫だ。…遼、当麻。上の部屋に」


秀は、そうとだけ言って、部屋へと上がっていってしまった。





「…」


部屋に上がって、秀は気まずそうな顔をして俺たちを交互に見た。
何も語ろうとはしない。

なんとなく話しかけにくい雰囲気に、俺は当麻と顔を見合わせる。



しばらくして、外で車の音がした。
メイファちゃんの声と共に、階段を上がってくる音が続く。
ユンくんと共に現れたのは、なんと征士だった。
征士は、何故ここに集まったのかわからないような顔のまま、差し出された座布団の上に正座する。


隣に座る当麻の顔を見て瞠目した。


「当麻!お前どこにいっていたのだ!?遼がどれだけ心配して…」
「征士…!その話はあとだ」

驚きに声を上げる征士の言葉をさえぎって、秀は真面目な顔でそう言う。
…めずらしく真面目な秀の言葉に征士は口をつぐんだ。






「…伸が、入院した」


沈黙を破って、秀はそう言った。
そして、苦しそうに顔を覆う。
秀の言葉に、当麻は真っ青になって秀を見あげた。
俺も、征士も、秀を見つめている。


「…な・んで…?」


当麻が、震える唇でそう言った。
膝を握る指が、真っ白になっていた。

いまにも涙が零れそうな当麻の様子に、
俺はそっと当麻の手の上に掌を重ねる。


「…当麻」
「どうして伸が…秀!どうして…っ!」
「お前のせいじゃネエんだ…」
「だって、伸…っ!?」
「落ち着け当麻。秀、なにがあったか説明しろ」



俺にめくばせして、征士は秀に言葉を促す。
俺はがたがたと震える当麻の肩をぎゅっと握り締めた。


「俺が、あいつを追い詰めちまったんだ。つい口と…手が過ぎてな。
…で、伸のやつ、力を使っちまって」
「力…水滸のか?」
「…ああ。ものすごい力だった…それで、突然ぷつんと倒れちまって…」
「…なるほど、暴走して気が切れたか」
「そういうことだ。…いま、俺の知り合いの病院で、迦遊羅が付き添ってくれてる」
「…なんで迦遊羅なんだ」


俺の疑問に、答えたのは当麻だった。
真っ青な顔のまま、唇をかみ締めて言葉を紡ぐ。

「…力の暴走は、妖邪を生み出す。それを抑えてるんだな?」

秀は、悲しげに頷いた。

「錫杖の力で抑えていられるのは一日。で、迦遊羅から、話し合って欲しいって言われた」

秀は、言いにくそうに一つ溜息をついて、俺たちを見回した。

「伸は、このままじゃ妖邪になる」
「そんな…!」
「もちろん、迦遊羅が錫杖の力で邪気を祓えば妖邪になることはない。ただ…人にはもともと
邪気ってもんが少なからずしみこんでいるもんなんだ。それも一緒に祓っちまうことになるから
…もし錫杖の力を使えば、伸は…」

そう言って、秀はこめかみに上げた拳を開いた。
征士が息を飲んで、言葉を継いだ。

「目覚めぬか、妖邪になるか…か」

「…俺のせいだ」
「当麻…」
「俺が…伸・を・・・っ、オレ・っ!!」
「お前のせいじゃない」

そう言って、俺は当麻をぎゅっと抱きしめる。
震える肩をしっかりと抱いて、当麻が落ち着くまで待った。

しばらくして、俺は秀と征士を見た。

「…他に方法はないのか?」
「あれば俺だって、こんなこといわねえよ…っ」

秀の苦しげな言葉に、俺たちはなにも言えなくなってしまう。


重苦しい沈黙が、部屋を満たしていた。







そして、俺たちは。
一晩かけて苦渋の決断をした。









*****************************************





選択は、なされた。

信の心が目覚めぬ今、
彼を信じるしか出来ないもどかしさ。





求天刹那 36




秀の知り合いの病院に着いた4人は奥の個室に案内された。

広い四角い空間。
そこに迦遊羅と3魔将がベッドを囲んで座っていた。

ベッドの上には、真っ青な顔をした伸が眠っている。
仄かに妖邪の芳香を醸し出しているその横顔。
禍々しい空気が、時間がないことを物語っていた。


「…伸っ」

当麻が、涙を零して遼の肩に縋った。
いまにも倒れそうな当麻の様子に、螺呪羅が黙って椅子から立ち上がった。
当麻を抱き上げ備え付けのソファに座らせる。

「らじゅ…っ」
「…少し眠れ」

目をつぶり、当麻の額を撫でる。
ふっと息を吹き掛けると、当麻の身体がぐらりと揺れた。

「…螺呪羅?」
「気の弱まったものがやつに近づけば気を奪われるからな…俺の気を吹き込ませてもらった」
「…すまない」

「…それで…どうなさるかお決めになりましたか?」

迦遊羅が悲しそうにそう言って3人を見回した。

「…ああ」

遼が辛そうな表情のまま、目を伏せた。

「…妖邪にさせるのは、絶対に避けなければいけないことだ。鎧戦士である水滸がその力に飲まれることは特に
…伸も望んでいないはずだ。…それが俺達の結論だ」
「では、よいのですね?」
「…ああ。伸ならきっと乗り越えてくれる」

3人は互いと伸を見つめて、力強くうなづいた。

「…では」

迦遊羅が立ち上がり、伸の額に右手を翳す。
左手を広げると錫杖がその手に現れた。

  シャン。

清浄なその音が、部屋に響く。
まばゆい光が世界を白く変えた。




一瞬の出来事だった。





伸の身体を激しく光の粒が駆け抜ける。

光が錫杖の中に吸い込まれ、部屋を覆っていた邪気はすっかり消えていた。
伸の頬にも、ぬくもりが戻ったように見える。



…幾時をも越えたような気分を味わいながら、遼は目をしばたたかせた。
みんなも同じような表情で迦遊羅を見つめている。

「…あとは、医師の方々の領域ですわ」

優しく伸の頬を撫でて、迦遊羅は微笑む。

「…あなたなら大丈夫。信じていますわ」



そうして迦遊羅と3魔将は帰っていった。







…水だ。
どすぐろい水が、足元に広がってる。

その中心に、だれかがうずくまっていた。



だれ?



不意にその人の足元から光があふれ出す。
黒い渦が、渦になってその光に溶けて消えた。


気づいたときには、真っ黒いものはなくなって、
透明な、水がいっぱいに満ちていた。


綺麗な水。



悲しいほどに、透明な。




「・・・・とうま」


誰かに、呼ばれた気がした。





「…麻。当麻」

肩を揺すられて、当麻は目を開いた。
そこは伸の病室のソファで、遼が当麻を見下ろしている。

「迦遊羅たち、帰ったよ」
「…伸は?」
「うん、あとはお医者さんの仕事だって」
「そっか…」
「…体調がどう?気分悪くないか?」
「…平気」

なにかを思い出そうとして、当麻は目を泳がせた。

「なに?」
「…いや、呼んだのは遼だよな」
「…本当に平気か?」
「ああ、いや、気にしないでくれ」

微かに笑って、当麻はベッドの上の伸を見上げた。












それから一週間。

医師が様々に検査や治療を施したが、伸に目覚める兆候は見られなかった。
迦遊羅が去った後すぐに、病院から連絡を受けた伸の家族がやってきたが、息子の姿を見て伸の母親は倒れてしまった。
伸の姉が東京の部屋に泊まりこんで、伸の様子を見ることになった。
無論俺たちも一緒に、と頼み込んだ。

小夜子さんと俺たち4人が代わる代わる見舞う日々が続いた。






「当麻くん?」
「…小夜子さん」

ある日、俺が部屋を覗くと伸の姉である小夜子が先に来ていた。
悲しげな瞳のまま、俺ににこりと微笑む。

「一人で来てくれたの?」
「いえ…遼と一緒に…遼はいま外で電話してて…」
「そう、わざわざありがとうね」
「…いえ、」

沈黙が部屋に広がる。

…小夜子さんとは何度か会ったことがある。
綺麗で優しそうなその姿は、さすが伸の姉だと納得するところがあったが
今の彼女は憔悴激しく、いまにも倒れてしまいそうだった。



「…ねえ、当麻くん…伸ちゃんはどうなってしまうのかしら」

突然そう聞かれて、俺は息を飲んだ。

「またあの鎧のせいなの?どうして伸ちゃんはそんなものに選ばれてしまったの?…あたしじゃ駄目だったのかしら」

静かな言葉。
しかし、激しい胸のうちが、滲んで見える。
仄かに狂気を含んだその言葉に、俺はなにも言えず俯いた。

「…ごめんなさい・・・俺・・・おれが…」

ようやくそれだけ口にして、俺は唇をかみ締めた。
俺がここで涙を零すのはお門違いだ。
…小夜子さんはずっと我慢してるのに。

…止まれ、涙…!



不意に、ふわりと柔らかな腕が、俺を抱きしめた。


「…ごめんね、当麻くん・・・あなたを責めてるわけじゃないの…だけど…っ」

そのとき、はじめて小夜子さんは涙を流した。
透き通った液体が、はらはらと零れ落ちる。

「…伸ちゃん、死んじゃうのかしら…」
「…っ!!」

なにも言えず、俺は抱きしめてくる腕を支え続けた。







暫らくして、遼が部屋に入ってきた。
ソファに眠っている小夜子さんに驚いて俺を見る。

「…ずっと看病しっぱなしだったから疲れてたみたい」
「…そうか」

涙に濡れた顔を見て、遼は悲しそうに俯いた。

「…伸、ずっとこのままかな」
「そんなことない!伸は絶対目覚めるさ」
「…そうだよな。絶対目覚めるよな」

俺の言葉に、遼は真面目な顔でそう怒った。

俺たちが信じなくてどうする。
信じて待つしかないんだ。



俺たちに…俺にできるのは、それだけだから。








******************************************





ここに、君がいない悲しみ。
形はあるのに
心がいない。

自分すらわからない。
なのに、君は微笑む。
遥かかなたを見つめて。





求天刹那 37






俺は、一人、伸の病室に来ていた。
ずっと、目を閉じたままの伸。
あの、ターコイズブルーの瞳は、もう俺を映さないのか。

…起きてくれ。



祈るようにそう願って、俺は伸の手を握り締めた。





「秀、水かえてきた」

当麻がそう行って部屋に入ってきた。
俺は滲んだ涙を袖でぐいっと拭いて、花瓶を受け取る。

「…伸の様子、どうだ?」
「…うん、異常なしってところかな」
「そうか」

当麻は、伸の顔を見つめて、寂しそうに笑った。

「…俺が、お前の気持ち受け止めてたらこんなことにはならなかったのに」





当麻の言葉に、俺はばっと当麻の顔を見た。
当麻は驚いたように俺の顔を見返す。

「当麻…お前、本気でそんなこと言ってるのか?」
「…秀」


腹の奥が怒りで熱くなる。

どうしてそんなこと口に出せるんだ!!!
俺は、当麻の胸倉を掴んでにらみつけた。



「受け止めてたら、どうだっていうんだ!遼はどうするんだよ!お前の気持ちは!!」
「秀・・・っ」


苦しそうにもがく当麻から手を離し、俺は部屋を出た。



どいつもこいつも幸せになんて、なれるはずねえんだ。
だれかが傷つかなきゃ、幸せは掴めない。



…なんで、こんなことになっちまったんだか。






悔しさに、壁を殴りつけて、俺は部屋に戻った。












秀に捕まれた首が痛い。
怒られて当然のことをしちまったんだけど。

だけど。

ココに来るたび考えさせられる。
俺が、もっとちゃんと突き放していたら。
…こんなことになるなら、いっそ受け入れてしまえばよかったのかもしれない。

後悔ってのは、起こった後にするもんだけど。


…伸。








秀が、眉間に皺を寄せたまま部屋に戻ってきた。
俺にちらりと視線を流して、頭を掻く。

「…すまん」
「…俺こそ」

視線を合わせないまま、そう言って、俺たちは伸を見つめた。



「…伸、戻って来い」
「…伸」


俺たちは祈るように、そう呟いた。















不意に、伸の瞼が、ぴくりと動いた。
俺は、当麻と顔を見合わせて、もう一度信を覗き込む。


まるでスローモーションの映像を見るように、緩やかにその瞳が開かれた。

「…伸」

当麻の呟きが、部屋に響く。
伸は当麻と、俺を見て、瞬きをした。


「伸!!おい!当麻!伸が!」
「あ、ああ。伸、わかるか?」

言いながら、当麻はナースコールを押している。

『はい、どうかなされましたか?』
「あ、あの…伸…毛利伸が、起きたんです!」

「お、おれ…征士たちに連絡してくる!!」

看護婦さんと話をしている当麻にそう言って、俺は公衆電話へと駆け出した。





「伸…よかった…!」

秀が去って、当麻は伸の手を取った。
伸はきょとんとした顔のまま、不思議そうに辺りを見回している。
当麻の顔を見て、ふわりと笑いかけた

「…とーま」

たどたどしくそう言って、伸は当麻の手を握り返す。

「ああ、そうだ…俺だ…伸っ・・・」

手に縋りつき、泣き出した当麻の髪を撫で、伸はぼんやりとあたりを見回した。

「とーま・・・?」
「…伸?」
「…とーま」

焦点の合わない瞳で当麻を見つめて、微笑む伸。
違和感を感じて、当麻は伸の頬を両手で包み込んだ。

「…伸」
「……ん?」

きょとんとしたまま微笑む伸の目には、光がなく、なにも写っていないようだった。



「当麻!いま征士たち来…なにしてんだ?」
「…秀・・・伸、変だ」
「なに…?」
「…とーま」

秀を見て、泣きそうな声を出す当麻。
それをあやすそうに、伸は髪を撫で続けた。
顔に笑顔を貼り付けて。

ちょうどそのとき、医師たちが部屋に入ってきた。


伸は、遠くを見るように、ただ、微笑んでいた。














「感情を司る脳が機能していない?」

当麻の説明に、遼は眉間に皺を寄せた。
秀も、わからなそうに腕を組んでいる。

「人間の感情ってのは脳でコントロールされてるもんなんだ。そこの信号がうまく伝わって、笑ったり、怒ったりするわけだよ。
そこの信号の伝わりが著しく遅い。そして、場所によっては伝わらなくなっている。あとは、言語障害・・・簡単な単語程度しか
判別できてないみたいなんだ」

当麻はそう言って、肩を落とした。

「とりあえず、さっき家族に連絡が行ったらしいから…あとは、伸の家の問題になるだろう」

征士の言葉に、秀は悲しそうに伸を見つめた。
伸はきょとんとした顔のまま、皆の顔を眺め、窓の外を指さした。




「…てん・く・・・ぅ」





その言葉に、4人はぎょっと目を見開く。




「…外、見てえのか?」
「…車椅子、借りてきてやる」

涙をこらえて、秀はそう笑った。
伸はにこりと微笑んで、窓の外に視線を戻す。
征士が、車椅子を借りにナースセンターへと走るのを、当麻は呆然と眺めた。



「…天空って・・・っ」

「当麻…」




苦しそうに伸を見つめる当麻の肩を、遼はそっと抱きしめた。










伸は、萩の実家で面倒を見るということになった。

母親と、親族であろう男に連れられて、伸は車に乗せられた。






伸は笑顔を貼り付けたまま、当麻たちを見つめ続けていた。










*****************************************






刹那の一瞬。
求めて、焦がれて、手を伸ばす。

僕だけの空が欲しかった。

たとえそれが最後の一瞬でも。
会いたかったのは、君だけ。







求天刹那 38







萩に帰った伸がいなくなったと連絡がきたのは、
病院で伸を見送って、ちょうど一週間後のことだった。

空が見たいという伸を車椅子に乗せて、庭に出て。
ふと目を放した隙に、車椅子ごといなくなっていたのだという。



次の日、ナスティ邸のそばの湖で、車椅子だけが見つかった。
湖の中まで懸命に捜索がなされたが、伸の姿は、どこにも無かった。













…静かだ。


淡く青い、世界に、俺は立っていた。




「当麻…」




ふわりと笑うように、俺の名を呼ぶ。

…ああ、伸の声だ。



どこにいるんだ?
みんな探してるんだぞ?




「…ごめんね」



謝るな。
そんな悲しい声色で。






  ちゃぷん。


水音とともに、突然目の前が開けて、俺は目を覆った。


…ここは?
ナスティ邸のそばの湖だ。

まだ朝早いのか、霧がかかっている。

桟橋に、俺はパジャマ姿のままで立っていた。



伸が、湖の上で笑ってる。


あの遠くを見るような微笑じゃない。
いつもの…少し困ったような、悲しそうな笑顔で

俺を、見つめていた。




「ごめんね」




だから謝るなって言ってるだろ!


声は音にならずに、心の中で叫んでるようだった。
もどかしい。

俺は喉を押さえて、伸の名を呼んだ。



  伸! … し ん っ !  !




伸の体は、少しづつ湖の中央へと遠ざかってゆく。



どこに行くんだ!
戻って来い!!!

不安が、胸の中にどっと押し寄せた。
このまま、伸がいなくなってしまうような、そんな気がした。


伸が、手を差し出す。

俺は、桟橋ぎりぎりまで寄って、伸に手を伸ばした。

あと少し!
掴めそうで掴めない。


いやだ!
行くな!!!








「……して・る」


不意に、伸がそう言った。

瞳から、涙が零れる。
頬を伝った涙が、湖に溶けた。


  ポチャン。

…なんて言ったのか、よく聞こえない。

       ザ プ ・・・・ザ ザ ・ ・ ・ ・ …


水の音がうるさくて…



             ザ    ザ ザ    ザ  ア   ア・ ・ ・ ・    ッ   





手が、触れた。
氷のように冷たいそれをしっかりと掴む。

伸は、俺に手を引かれて、うれしそうに微笑んだ。








  
「…愛してる、当麻」












瞬間。

伸の身体が、崩れた。
透明な液体になって足元の湖に流れ落ちる。

水と交じり、溶けて…わからなくなった。





…伸?








頭の中が真っ白になった。
握ったはずの手のひらにはひとすくいの水が、輝いていた。

指の間を零れて、消えてゆく。




これは、夢だ。

夢に決まってる…!!!!




思わず後ずさりした足元に、鋭い痛み。
下を見ると、かかとに石が刺さっていた。
血が、じわりと滲む。

ずきん、ずきんと響く痛みは、これが夢じゃないことを教えていた。



仄かに濡れた手のひらが、がくがくと震えだす。
混乱する頭を、両手で覆った。
冷たい感触に、意思とは関係なく、身体中が震えだす。


視界が滲む。
胸が苦しい。


助けて。

どうして。

伸…っ!



うそだ・・・・っ








「・・・・・ウソだ…あ・ぁぁっ!!!!」










叫びは、湖の上を走り、山々に木霊して消えた。
















**************************************










隣にいたはずのぬくもりが、
はるか遠く消える。
刹那の時、愛し合った
君はもういない。







求天刹那 39







  TRRRR。


電話の音に、俺は目を覚ました。
時計はまだ、6時を少し過ぎたころを指していて、少しむっとした。


ふと、隣に寝ているはずの当麻の姿がないことに気づいて、部屋を見回す。

…トイレかな?




考えている間にも、電話はけたたましく鳴り続ける。


「はいはい、誰だよ…もしもし?…ナスティ?」

電話の相手はナスティで少し驚いた。

泣いているのか、震える声で、ナスティがなにか言っている。



…当麻が、湖で、一人で倒れてた?






ありえないだろ。
だって、昨日の夜、お休みっていって、一緒にベッドに入った。
あの青い髪にキスして…
腕の中にいたぬくもりすら思い出せる。


「…ナスティ、待って…だって、当麻は…」

混乱する頭をぐしゃぐしゃと掻き毟って、俺は部屋を見回した。

静か過ぎる部屋。
忽然と消えた当麻。
トイレのほうからは、ことりとも音がしない。


「…わかった、とりあえずすぐに向かうから・・・っ」




うろたえた様子のナスティにそれだけ言って、電話を切る。

念のため部屋中見回ったが、当麻の姿はかけらすらなかった。



俺は準備もそこそこに、部屋を飛び出した。











小田原の、総合病院の一室。
羽柴当麻と書かれた個室の前で、俺は息を飲んだ。

…伸のことが、頭をよぎる。


あいつも見つかってないって言うのに!




落ち着くためにため息をついて、俺は扉をノックした。

「どうぞ」

ナスティの声がして、俺は部屋の中へ入った。






そこには、当麻が眠っていた。

どうして、当麻がここに。
しかも、パジャマ姿のまま。

動揺を抑えて、ナスティに振り返った。




「…さっきやっと寝たところなの」

目元をぬぐって、ナスティはそう言った。

「なにがあったんだ?」
「あたしが聞きたいくらいだわ。すごい叫び声がして…慌てて湖に行ったら、当麻が倒れていたの。
パジャマ姿のまま、桟橋でね。…病院について一度目を覚ましたんだけど、すごい錯乱状態で…
…伸が、湖にいたって言ってたわ。当麻が掴んだら、水になって溶けたって。お医者さんはなにか
薬でもやってるんじゃって言ってたけど…」
「そんなものは、やってない!」
「あたしだってそう言ったわ。実際、検査では薬の反応は出てないらしいし」
「…じゃあ、本当に伸が…?」
「わからないわよ…」

ため息をついて、ナスティは眉間を押さえた。
本当にどうしたらいいのかわからなくなったときの彼女のくせだ。





少しして、秀と征士も病室に駆けつけた。

当麻の様子に息を飲む。



「…なんだってんだちきしょう!」

秀は悔しそうに壁を殴った。
征士も、眉間にしわを寄せて、押し黙っている。







…しばらくして、当麻が、ゆっくりと目を開けた。
ぼんやりと目をこすって、俺たちを見回す。

「…当麻?」

俺の問いかけに、当麻は首をかしげて目を泳がせた。

「…遼」
「ああ、俺だ。わかるな?」
「うん…」
「俺は?」
「秀と、征士…ナスティまで…どうしたってんだ一体…」

そういって、当麻は首をかしげた。
よかったと肩をなでおろすメンバーを横目に、俺はいやな予感に胸が締め付けられた。
なにか様子がおかしい。

「まったくひやひやさせやがる。どうしたって?こっちが聞きたいぜ!何があったんだよ!」
「なにか…・・・・なにも…?」
「なにもってことはないしょ?あなた伸に会ったっていってたじゃない!」

「しん・・・誰だそれ?」




その言葉に俺たちは息を飲んだ。


「なに言っている!伸は私たちの仲間ではないか!」
「仲間…なんの仲間だよ」
「…当麻?なにいってんだ?」

当麻は心底変だという顔で俺たちを見た。

「…そういや、お前らとどういう知り合いだったんだっけ?」
「なにいってんだ!俺たちのこと忘れちまったのかよ!」
「いや、覚えてるぜ?ただ、いつ知り合ったのか、その経緯が思い出せないんだ」
「経緯ぃ?一緒に妖邪と戦ったろ!?」
「ようじゃ?」
「俺たちはサムライトルーパーだ。一緒に戦ったろ?覚えてないのか?」
「さむらい?おいおい、勘弁してくれよ」


手を振る当麻の顔はいたってまじめで、俺たちは顔を見合わせた。








…当麻は、サムライトルーパーとして戦ったことをすっかり忘れていた。

俺と秀・征士。そしてナスティ、純。
俺たちのことは、性格からなにからちゃんと覚えているらしいのだが、

鎧のこと、戦った記憶。
…そして、伸のことは、当麻のなかから全部消されていた。

そして、もうひとつ。





「遼がうちに居候してるのは覚えてるけど、なんで一緒に住むことにしたのかは覚えてない」
「…そうか」
「…なんでそんな悲しそうな顔するんだよ」
「いや、当麻は俺のこと、どうおもう?」
「突然なんだよ…親友だと思ってるぜ?」
「…そっか」


当麻の中から、俺との関係の記憶はなくなっていた。












***********************************************









我求む、天の蒼さ壮大さ。 我離せず、腕の中の蒼。

願い、奪われ、裂き、望む。  愛。  それを得んがために。

求めるはたった一つ。

我らが、刹那の時に求めた たった一つの    天。

ー求天刹那。


…すべてを、無にもどし、いま何を見る。






求天刹那 40








迦遊羅たちに会わせてみても、結局当麻の記憶が戻ることはなかった。








遼は一人、湖の岸に立っていた。

幾度か探索がされたが、結局、伸の行方は知れず。
この湖の中にも、遺体などは見つからなかった。

それどころか、湖の中に生息していた生き物が、
忽然と姿を消していたらしい。


水質調査なども行われたが、毒物等の反応はなく。


ただ、そこには 水が、たゆんでいるだけだった。




「…当麻は元気だぜ。鎧の記憶がなくても、生活には支障ないもんな」

誰にともなくそうつぶやいて、遼は湖面を見つめた。



「…当麻の記憶、持っていったのは、おまえか?」

遼の声が、凛と響く。

「…戦いを一番拒んでいたのはお前だったもんな…もう戦うことのなくなったいまなら、
天空の記憶は、当麻の枷にしかならない。そう思ったんだろ?」

…返事をするものは、ない。


「だからって…自分の記憶まで持って行っちまうことないじゃないか…当麻が自分のことで気に病んで
たからか?傷つけたままなら、なかったことにしたかったのか?それで、許されたつもりなのか!?」

声が掠れる。
苦しそうに息を吐き出して、遼はぎゅっと目をつぶった。

「…俺は、お前のしたこと、許さないから。この先、許すつもりもない。…忘れないから。この世に、毛利伸
ってやつが、共に戦った水滸の伸って鎧戦士が、ここに存在したこと。絶対忘れない。」



ザア・・・ッ。

風が、湖面を駆ける。



遼は、湖に背を向けた。
ふと思い出して、もう一度、振り返る。


「…あと、俺とのこと忘れさせたけど…無駄だからな。絶対にまた、好きにならせるから。俺は、当麻のそばに
ずっといるから。…愛してるから。何度でも…また、好きにならせるからな」




波ひとつ立たない湖面にそう言って、遼は歩き出した。









  ぱしゃん。




湖の中央で、魚が跳ねた。

空の、海の、どちらともつかない青い姿で
それは、宙を舞った。








なにかの気配に気づいて、遼が振り返る。











そこにはなにもいなかった。



湖が、ただ静かに、湖面に円を描いて揺れていた。


















*************



というわけで、全部まとめてみました。

長々とお付き合いいただいてありがとうございます。。。

約、一ヶ月連載してたんですが
こんな話をズルズルと書き綴ってしまい
本当に申し訳ないという気分でいっぱいです(土下座

当初の予定を大幅にずれまくったのは、ひとえに
「どうせならOVA話もいれたろ」
という間違った決意のためかと(爆笑

…前世話を混ぜなくてよかったと、ため息をついていたり(笑


いろいろ書きなおすところはありますが、
とりあえずストーリーをがーっと書いてしまいたかったので…

また加筆できればいいなあと思いつつ・・・なかなか・・・orz


感想等、いただけると幸いです。